駐車場の女

十年以上前、山梨に住むEさんが仕事で静岡に行った帰りのこと。
夜の十一時を過ぎた頃にようやく山梨に入ったが、仕事と運転の疲れのせいか猛烈に眠い。ハンドルを握りながら今にも瞼が落ちそうだ。
これではいかんとどこか仮眠を取るところを探すと、ちょうど前方にコンビニの看板が見える。
これ幸いと、広い駐車場の隅に車を駐めてすぐに運転席で眠りこんだ。


それからどれだけ時間が経ったのか、気がつくと車が揺れている。
何事だと見回すと助手席に人がいる。顔色の悪い女だ。
膝の上に握った両手を置いて、じっと俯いている。その両手が妙に小さい。
誰だ、と叫ぼうとしたが声が出ない。隙間風のような音を立てて自分の喉から息が出た。
女は俯いたまま目だけこちらを向いて言った。
「それって、――よね」
それって、に続く言葉が後からいくら考えても思い出せないという。


次に気がつくと助手席には誰もいなかった。ドアのロックもしっかりされている。
時計を見るとコンビニに入ってきてから十分ほどしか経っていない。
なんだ夢か、とほっとしたが全力で走った後のように脈が速く、全身に汗をかいている。
ひどい夢を見て興奮したせいか、眠気は完全に失せてしまったようだった。
車を出そうとしたところで気がついた。助手席のシートに何かがある。
泥のついた木の葉が何枚も散らばっていた。林の地面に積もった枯葉をふりかけたような状態だ。
シートの上だけでなく床にも。運転席の足元にも。後部座席にも。
土臭さがぷんと鼻をついた。
慌ててエンジンを停め、車の外に掃き出してから逃げるようにその場を立ち去ったという。

老夫婦の記念写真

Gさんが一人で伊豆に旅行して、帰ってきた日のこと。
旅先で撮ったデジタルカメラのデータを見返していると、途中でひとつだけ、覚えのない光景があった。
写真の中央に老夫婦が並んで立っている。二人とも穏やかな表情でいかにも仲睦まじい夫婦といった印象だ。
その背後にはトタン屋根の小屋と鬱蒼とした木々が写っている。
自宅の庭で記念写真を撮ったという風情だが、旅の間こんな老夫婦には会わなかった。背景になっている場所にも見覚えはない。
デジタルの画像ファイルには作成日時や使用したカメラの機種などが記録されていて、パソコンで確認できる。
これを見たところ確かにGさんのカメラで撮られた画像データのようだし、日付も旅行中のものだ。
しかし旅行の間はGさんがカメラを肌身離さず持っていたから、他の誰かが勝手にカメラを使ってこの写真を撮ったはずがない。カメラを手の届くところに置いておかなかったのはせいぜい入浴中くらいだが、風呂に入ったのは日が暮れた後だった。老夫婦の写真は明るい時間帯に撮られているのだ。
旅行中にカメラを他の機器につないだりメモリーカードを抜いたりしたこともない。覚えのない写真が途中に挟まれているのは不可解でしかなかった。


この老夫婦が誰なのかは後に判明した。
Gさんが実家に帰ったときに両親に旅行中の写真を見せたときのことである。
写真をパソコンの画面で見ていた母が言う。
あら、長崎のおじさんとおばさん。どうしたのこの写真。
母が指差したのはあの老夫婦だ。Gさんはその写真が交じっていたのをこのときすっかり忘れていた。
写っているのは間違いなく長崎のおじさん夫婦だという。
しかしその人物のことをGさんは聞いたことがなかった。母によると、母の実家の遠縁にあたる人だという。
もう母も二十年近く会っていないのでこの人達が今どうしているかは知らない。
あんたなんでおじさんたち撮ったの? どこで?
逆に母からそう問われたが、答えようがなかった。
おじさんたちに何かあったのかしら……。心配した母が実家に連絡を取ってみたものの、おじさんもおばさんも変わりなく元気にやっているという。
どういうわけで二人の写真がGさんのカメラに紛れ込んだのか、今でも不明のままだ。

吹雪手

風と雪が強い夜だったという。
日没後から風がかなり強くなり、家が揺れるほどになってきたので窓のシャッターを下ろそうと窓に手をかけた。
そこにパンッと軽い音を立てて、隣の窓ガラスに手のひらが張り付いた。手袋が飛ばされてきたのかと思って目をこらしたが、手のひらのしわや指紋まで見える。
生々しい人の手だ。作り物とも思えない。
しかし腕はない。手首から先だけがある。血は出ていないが断面は覗き込みたくない。
手首だけでどうやってくっついているのかわからないが、ずり落ちたりせずに同じ場所に張り付いている。
窓に手をかけた姿勢のまま固まって数秒間それを見ていたが、すぐに奇妙なことに気がついた。
ガラスの外には網戸がある。張り付いた手首はガラスと網戸の間にある。
網戸をすり抜けてガラスに張り付いたのだろうか。
このことに気づいてしまってからはもう窓を開けるのが怖くなって、窓から手を離した。後ずさるように窓から離れる。
窓の外を見回したが、吹雪の中に誰の姿もない。
風は依然強く、雪が網戸に吹き付ける。一際強い風が吹いてきて家がズシンと揺れた。
その拍子に窓の手首がぺらりと剥がれてどこかに飛んでいった。
一瞬のことで、手首が網戸をどう通り過ぎたのかはよく見えなかった。
シャッターを閉めるかどうか迷ったが、あの手首が入ってきたりしたらと思うと窓を開ける気にはなれなかったという。

夜の巨人

午後七時頃、Fさんが仕事から帰宅すると家に明かりがついていない。
いつもなら妻と娘がいるはずの時刻だ。しかし家の中がしんとして人の気配がない。
携帯にも特に連絡はなかった。台所や娘の部屋も覗いたが誰もいない。
なにか急用で二人とも外出したのだろうか。それならばメールくらいくれてもいいのだが。
とりあえず着替えようと寝室に入ったところで、窓の外に見慣れないものが見えた。
人の腕と胴体だ。服は着ていない。
しかし異様に大きい。二階の窓からだというのに、肩も腰も窓の上下に見切れていて胸から腹の範囲しか見えない。
巨人だ。それがゆっくり窓の外を横切っていく。

 


思わずFさんの喉から大きな叫び声が出ていた。
すると背後の廊下から足音が駆け寄ってきて、寝室のドアが開いた。妻と娘が顔を出す。
大声出してどうしたの、と妻が聞くので窓を指差したが外には巨人など影も形もない。恐る恐る窓に近寄って外を見回したがそれらしきものは見当たらない。
――全く人騒がせな。知らないうちに帰ってきて急に騒いで。
妻は呆れたように言う。知らないうちに帰ってきたのはそっちだろ、とFさんが返すと妻は怪訝な顔をした。
帰ってきたって誰がよ。出掛けてないけど。
妻と娘の話によると日が暮れてからは外出していない。今も台所で夕食の支度をしていたという。
確かに台所と食卓には出来たての食事が並んでおり、とてもFさんが帰ってきてからの数分で並べたものとは思えなかった。
それでは先程帰ってきたときの、あの静まり返った家はなんだったというのか。

電灯外し

ある朝Eさんがマンションの自室で目を覚まし、こたつの上に置いた眼鏡を取ろうとして異変に気がついた。
こたつの上に眼鏡だけでなく、蛍光灯が載っている。ホコリを被った丸形の蛍光灯だ。
なぜこんなものがここに、と天井を見上げると蛍光灯がついていない。どうやら天井に付けてあった蛍光灯を外してこたつの上に置いたようだ。
しかしそんなことをした覚えがない。寝る前は確かに蛍光灯は天井に付いていたし、たった今目を覚ましたばかりで自分ではそんなことはしていない。
一人暮らしだから家族がやった可能性はない。戸締まりはしっかりしているから侵入者がやったとも考えられない。百歩譲って侵入者の仕業にしても他に変わったこともないので、訳がわからない。
夜の間に自分で寝ぼけて外して、すっかり忘れているのだろうか。
腑に落ちないながらも、その朝はとりあえず蛍光灯を元通り付け直してから出勤した。
すると職場で同僚が脚立を持ってくるところに出くわした。
どうしたと尋ねると、事務所の天井の蛍光灯が全て外されていたのだという。
朝一番に出勤した社員が鍵を開けて入ったときにはもうその状態で、誰の仕業かはまだわからないとのことだった。
うちと同じだ、と思ったEさんだが、勘繰られるのも嫌なので自宅であったことについては触れずに、蛍光灯を元に戻すのを手伝った。


その夜、Eさんは帰宅してから買ってきた弁当と惣菜で夕食を済ませ、台所で食器を片付けた。
そしてリビングに戻ったところでまた様子がおかしい。部屋の明かりが消えている。
台所に行ったときには明かりは点けたままのはずだったのに、今は暗くなっている。
スイッチに手を伸ばしたがいくら押しても明るくならない。
点けたままのテレビの明かりに照らされて、こたつの上の丸いものが見える。蛍光灯だ。
また外れている。背中に嫌な汗が吹き出した。

いつの間に。誰が。
部屋の中にはEさん以外誰もいない。しかし自分のはずがない。
本当に他に誰もいないのだろうか。
隠れるような場所もないが、どうにも気味が悪い。すぐにEさんは部屋を出て、駅前の漫画喫茶に入り、翌朝まで過ごした。
警察に通報することも考えたが、蛍光灯が外されただけで大した害がない。侵入者がいる証拠もない。
明るくなってからようやく帰宅する気になったが、戻ってみると部屋には昨夜から特に変わったところはなかった。
それから数日は部屋の蛍光灯を外したまま過ごしたという。

武士坂

Kさんの住む街に落ち武者が出るという噂の坂がある。近隣では武士坂と呼ばれているが、これは俗称で正式な名前は特にない。住宅街の中にある緩い勾配の坂だ。
幽霊か不審人物か正体は定かでないが、とにかくそこで鎧を着た落ち武者に出くわしたという話をKさんは複数の人から実体験として聞かされたという。
Kさん自身は噂の落ち武者とやらを一度も見たことはないが、この坂で奇妙なものを見たことがある。
夕方にここを友人と二人で通りかかったときのこと、坂に沿って並ぶ家のひとつの玄関から棒が斜めに突き出していた。
近づくにつれてそれが人の脚だとわかった。
誰かが玄関の戸の内側に寝転び、脚を上げて外に突き出しているようだ。玄関は道の端に接しているから、突き出した脚も道路にはみ出している。
Kさんと友人はそれを避けて道の反対側の端に寄って通り過ぎようとした。
すると近づくにつれて、脚がどんどん玄関から出てくる。
腰、胴体、頭、腕。
おばあさんだ。眠っているのか、目を閉じて腕も万歳するように挙げている。
しかしどうやって出てきているのかわからない。自分で歩いたり這ったりしているのではなく、両脚を斜めに上げたまま、背中を地面に引きずって出てくる。どうやったらそんな動きが可能なのか。
誰かがおばあさんの脚を掴んで引きずっているような動きだが、その誰かの姿がないのだ。
すぐ目の前で、おばあさんはとうとう道の中央まで出てきた。そこで脚がバタッと落ちた。
その途端、おばあさんはガバっと上体を起こした。慌てたように周囲を見る。
Kさんたちと目が合うと、おばあさんはきまりが悪そうな苦笑いを浮かべ、立ち上がってそそくさと玄関の中に去っていった。
Kさんと友人は顔を見合わせると、無言のまま足早にその場を立ち去った。ずいぶん離れてからようやく友人が口を開いた。
あれ、普通の動きじゃなかったよね。

砂利道

Nさんの実家の近くに舗装されていない砂利道があり、見通しがよい一本道なのだが、通行者が少ない。
舗装されていないから自転車で通る人がほとんどいないのは当たり前としても、車の通りも少ないし、歩いて通る人は更に珍しい。
この道を通ると何か出る、というのが近隣で有名な話だからだという。
そのせいで夜に通る人がほとんどいないのはもちろん、明るいうちにも時折車が通る程度らしい。
知り合いの知り合いが見た人を知っている、というおぼろげな話ではなく、実際に見たという人が何人もいて、Nさんも見たことがある。


Nさんの場合はこうだった。
中学生の頃、まだここに出るという話を知らなかった。だから友達の家に遊びに行った帰り、ここを何気なく通った。
すると向こう側からおばあさんが歩いてくる。近所のおばあさんだ。
すれ違うときにこんにちはと声をかけて頭を下げた。
だがおばあさんの足が見えない。えっ、と視線を上げるとおばあさんの姿もない。
消えた!? と見回すとおばあさんは消えていなかった。
地上から1メートルほどの高さを同じ歩調で歩いていく。おばあさんが飛んでる。いや浮いてる。
一瞬呆気に取られたが、どういうことかと気になって追いかけようとした。
しかし踏み出したところでおばあさんの姿が見る見る薄くなり、夕焼け空に溶けるようにして見えなくなった。
思い返してみれば、近所にあんなおばあさんはいない。なぜひと目見て近所のおばあさんだと思ったかがわからなかった。


Nさんのお母さんやお父さんもこの道を車で通ったときにそれぞれ異なる奇妙なものに出会ったという。
お父さんは気味が悪いからここを通らないようにしているが、気にしなければ実害はないと言ってお母さんは頻繁に通っているらしい。