並走

ある人が原付で通勤するのをやめて車を買った。こんなことがあったせいだという。
仕事帰り、ふと気付くと原付の真横に何かが並んで走っている。
自転車だ。しかし誰も乗っていない。
無人の自転車が原付と同じ速度でぴたりと横に付いて走っている。そんな馬鹿な。
そこは田んぼの中のまっすぐな幹線道路で見通しがよく、他に車も歩行者もないので、制限速度以上に飛ばしていた。自転車で追いつける速さではないし、そもそも誰も乗っていない自転車が倒れもせず走っている時点でおかしい。
振り切ろうとしてスピードを上げたがそれでも自転車は吸い付くように横に並んでくる。
どこまで付いてくるのか。このまま家まで来られては嫌だ。
横から蹴り飛ばしてやれば無人の自転車などたやすく倒れるだろう。そう考えて原付を自転車に寄せ、片足を伸ばしてサドルのあたりに蹴りを入れた。
すると突然原付に強い衝撃があり、あっという間に転倒してアスファルトの上に投げ出されてしまった。
呻きながらも何とか立ち上がると、周囲にも前方にもあの自転車はない。何もない道路の真ん中で自分が勝手に転んだような状況だった。
転んだ原因の衝撃は自転車の反対側から受けたように感じられた。まるでそちら側から何かがぶつかってきたような感じだったという。
この事故により右腕を折る大怪我を負った。これ以来原付に乗るのが怖くなり、車に乗り換えることにしたのだという。

市民会館

市民合唱団に所属していた人の話。
その合唱団では毎年秋に市民会館でコンサートを行うのが恒例になっている。
五年ほど前のコンサート前日、市民会館で準備をしている最中にこんなことがあったという。
楽屋が並ぶ廊下を三人で歩いていると、誰かがぜいぜいと荒い息をしているのが聞こえる。
一緒に歩いている三人で互いに顔を見合わせた。この中の誰かではない。
「はっ、ぜっ、はひっ、ぜーっ、かはーっ」
激しい運動の後の呼吸というより、何か発作で苦しんでいるような様子だ。誰かが近くで倒れているのか?
楽屋を覗いたが誰もいない。しかし荒い呼吸は続いている。
どうもおかしい。どの楽屋を覗いたときも、呼吸音は同じくらいの距離で聞こえている。音だけがつきまとうように。
ちょっとこれ、なんなの?
そうひとりが口にした途端に呼吸音は三人の間を通り過ぎ、そのまま遠ざかっていった。音は足元を這うように移動していったという。
合唱団の他の人にこの話をしたところ、驚く様子がない。たまに出るんだよね、と平然と言う。
その人も以前こんな体験をしたと語った。
コンサートの本番中、楽屋で出番を待っているときのこと。突然、キンキンに冷えたものが背中に押し付けられた。押し付けられたものは硬い、手のひらサイズのなにかだったという。
ぎゃっと声を上げながら振り向いたが誰もいない。そのとき楽屋には自分ひとりしかいなかった。
毎年ではないがコンサートのときは会場で時折こういうおかしなことが起こる、というのは合唱団に長く在籍している人の間では共通認識らしい。

濡れ足

Yさんが風呂上がりにリビングで寛いでいると、妻が怒った様子で呼ぶ。どうしたんだ、と廊下に行くと妻は口をへの字にして下を指差す。床に濡れた足跡がいくつも並んでいる。
あなた、濡らしたらちゃんと自分で拭いてよ。
妻はそう言うが、Yさんに心当たりはない。風呂を上がるときにいつも通り足も拭いた。こんなに濡れた足で歩きまわってなどいない。
俺じゃないと反論したが、あなた以外いないじゃないのと妻は取り合わずに風呂に入った。
しかし足跡の主が自分でないとすればあとは妻しかいないが、妻はこれから風呂に入るのだから違う。足跡を見ても妻の足より大きいから、妻の言う通り自分の仕業なのだろうか。
だんだん自信が持てなくなりながらYさんは雑巾で床を拭いた。するとわずかに磯の臭いが立ち上る。雑巾を鼻に近づけると確かに海辺のような臭いがしてYさんは顔をしかめた。
これ――海水か? そうならば風呂上がりの足跡ではない。
海まで数十キロ離れている。海水などどこから出てきたというのだろう。
そもそも誰の足跡なのか。玄関や他の部屋も覗いてみたが、特に異常はない。濡れていたのは廊下だけだった。
戸締まりもしっかりしている。誰かが濡れた足で入ってきたということではないらしい。
釈然としないまま、Yさんは雑巾を洗ってリビングに戻った。
数分して、風呂から上がった妻が金切り声を上げた。駆けつけると廊下で妻が腰を抜かしている。
床を見てYさんも驚いた。先程同様に濡れた足跡がいくつもあった。


ようやく落ち着いた妻が語ったことによると、風呂から上がって廊下に出たところで床に足跡があった。
Yさんがまだ拭いていないのだと思った妻はカッとなって、Yさんを呼ぼうとした。その目の前で新たに二つ、濡れた足跡がついた。
誰の姿もないのに、かかとからべたりと足跡が現れたという。今まさに濡れた足が床を踏んだかのように、二つ並んで同時に。


新しい足跡もやはり磯の臭いがした。
海で不幸に遭った人には心当たりがないが、とりあえずYさんは仏壇に線香を立てた。そのおかげかどうか不明ながら、その夜それ以上変わったことは起きなかったという。

着せ替え人形

Oさんは定年退職後の新たな趣味として釣りを始めた。釣りは子供の頃に友達がやっていたのを見たことがあるくらいで、自分でやるのは初めてだったから、本屋で教本を買って勉強しながらやってみようと考えた。
はじめは家のすぐ近所の運河で釣っていたが、あまり魚がかからない。教本で見たやり方をいくつか試してみたが変わらない。何回かやっているうちに場所を変えてみようと思い立った。
そこで自転車で二十分ほどの川まで足をのばして釣ってみたところ、ここが近所の運河より手応えがいい。運河より魚が多いのか、餌に食いつく頻度が多い。
気をよくしたOさんはそれからも何度かその川に通ったが、そのうちにこんなことがあった。
釣っていると浮きがくくくっ、と水中に引き込まれた。針を魚にかけるために竿を一旦止めてから、グッと引き上げる。すると意外に抵抗なく糸が持ち上がった。逃げられたか、と思ったが針に何かついている。
手元に引き寄せるとビニール製の着せ替え人形だった。手脚は取れていて、髪や顔は泥で覆われている。
なんだゴミか、と笑って針から外し、水中に戻すわけにもいかないので後で捨てようとゴミ用のビニール袋に入れた。
再び糸を垂らしたOさんだったが、程なくしてまた引きがあった。今度は魚か、と引き上げてみてOさんは笑ってしまった。
また人形だった。しかもさっきとほとんど同じ、手脚の取れた着せかえ人形だ。二つも人形が捨てられていたのか。
川を綺麗にするのも釣り人の仕事、と頷きながら今度もゴミ袋にそれを入れた。
違和感があった。
袋の中に人形がひとつしかないのだ。一個目の人形はどこへ行った?
先程袋に入れたと思っていたが、うっかりこぼしていたのだろうか。見回したが人形などない。
どういうことだろう、と首をひねりながらまた釣りを再開した。しばらく待っていると、ググッと糸が引かれた。
今度こそ魚か、と思いきや針にかかっていたのはまた人形。やはり手脚がない泥まみれの着せかえ人形だ。人形がかかっただけでこんなに糸が引かれるものだろうか。
流石にこれはおかしいとOさんも思い始めた。前二回とほとんど同じような状態の人形だ。これは同じような人形がいくつも川に沈んでいたのではなく、三度とも同じ人形なのではないか?
恐る恐るゴミ袋を覗くと、やはり先程入れたはずの人形がない。周囲に人の姿はなく、ほかの誰かが袋から人形を出して川に戻したとは考えられない。
人形が自分で川に戻ったわけでもないだろうが――。
Oさんはそれ以上考えるのはやめて、人形をゴミ袋に入れるとしっかり縛り、道具を片付けてその場を後にした。
袋の中身は確かめずにすぐ捨てたという。

老犬

Uさんが小学生の頃、通学路の途中にある家に一匹の犬が飼われていた。
白い中型犬でもう結構な老犬らしく、Uさんが見たときには軒下に横たわっていることが多かった。
吠えたところも見たことがなかったくらいだから、通行人にとってはいてもいなくても同じようなもので、Uさんも毎日そこを通っていながら、ほとんどその犬には注意を払っていなかった。


ある日の夕方、Uさんが同じクラスの四人で学校から帰る途中のこと。この老犬がいる家の前をいつものように通りかかるといつもと違うことが起きた。
唸り声が聞こえる。
見れば、いつもはおとなしい老犬が立ち上がってこちらを睨み、歯を剥き出して唸っている。
鎖で繋がれているから飛びかかってきたとしてもこちらには届かないだろうが、珍しいこともあるものだと思った。一体何に怒っているのか。
犬はもう我慢できないというように激しく吠えた。
一緒にいた友達のひとりが酷く怯えて、ひゃっと小さく声を漏らして後ずさった。
確かに犬は激しい剣幕だが、そこまで怖がらなくてもいいだろ。笑いながらUさんはそちらを見たが、誰もいない。
見回しても、自分を含めて三人しかいない。もうひとりはどこへ行った。犬が怖くて逃げたのか。
しかしこの一瞬で隠れられるようなところも見当たらない。
そもそもわからないことがある。――いなくなったのは誰なのか。
今さっきまでは四人で歩いていたのに、ひとりいなくなっている。それは確かだというのに、いなくなったひとりが誰なのかがわからない。
今いる三人はお互いによく知った顔なのに、もうひとり、学校から一緒に歩いてきたはずの子は誰なのか。
思い返しても顔も名前も浮かばないのに、いなくなるまでその存在にまるで疑問を抱かなかった。
当たり前のように仲良く話しながら歩いていた。その話していた内容も曖昧で思い出せない。そのことが全く不思議だった。
気がつけば犬はすっかりおとなしい様子で、またいつものように横になっている。あれほど興奮していたのが嘘のようだった。
化かされたような気分でUさんたちはその場を立ち去った。
翌日の教室でクラスメイトの顔を確かめても、あの時消えたのが誰だったのかは全くわからなかった。
本当にあれがクラスメイトのひとりだったかどうかさえ、わからなかったという。

雲上線

三十年近く前、山梨の山間にある中学校でのことだという。
土曜日の午後、グラウンドで野球部とバレーボール部が練習をしていた。
よく晴れた日で、青空に白い雲が点々と浮かんでいる。練習中の部員のひとりが、ふと空を見上げて怪訝な顔をした。近くにいた他の部員たちも釣られて見上げる。
学校の周りは山に囲まれている。その稜線のすぐ上にひとつ雲がある。白くて平たい雲で、他の雲より少し低いところに浮いている。
その雲の上に何かが動いているのが見えた。細長い何かだ。
あれ、電車?
部員の誰かが呟いた。確かにそのように見える。四両ほど連なった列車が雲の上をゆっくりなぞっている。
動くのに従って銀色の車体が太陽の光をきらりと反射した。
なにあれ? 飛んでるの?
グラウンドで練習していた全員が呆気にとられながら見上げる視線の先で、列車は雲の上を横切ってゆく。飛んでいるというよりは、雲の上を走っているという感じだった。
遠いせいか列車のものらしき音は何も聞こえない。
バレー部顧問の先生が職員室に駆け込むと、カメラを持って出てきた。空に向けて慌ててシャッターを切る。
ものの数分で列車は雲の端へと移動し、見えなくなった。


週明けの各教室はこの話で持ち切りだった。
土曜日にグラウンドにいなかった生徒は疑う様子で、雲の上に電車なんているわけない、飛行機を見間違えたんだろうと言う。しかし野球部員とバレー部員は口を揃えて、あれは飛行機なんかじゃなかった、確かに電車だったと語った。
写真を見れば飛行機ではないことがわかるだろうということになったが、バレー部顧問の撮った写真を見ることができた生徒はひとりもいなかった。
よく撮れていなかったのか、それとも他に理由があるのかは定かではないが、顧問に写真について訊ねても曖昧にしか答えてもらえなかったという。

浜の人形

大型の台風が通り過ぎた直後の週末、Mさんは車で海岸まで出かけた。
その少し前にビーチコーミングの記事をネットで読んだMさんは自分もやってみたくなったのである。
ビーチコーミングとは、海岸で漂着物を探すことである。もともとは販売目的で漂着物を拾い集める行為だったというが、現在では観察やコレクション目的でも行う人が増えているという。
台風が過ぎた後は様々なものが浜辺に打ち寄せられる。飾るのに丁度いい流木や貝殻でも拾えるかな、と期待してMさんは砂浜に足を踏み入れた。
案の定大小様々な漂着物が波打ち際に連なっている。そして地元の住民らしき人たちが片付けに動き回っている。
そのすぐ傍で呑気に宝探しをするのも気がひけるので、彼らからは離れて漂着物を物色し始めた。
流木、貝殻、ちぎれた海藻、ペットボトル、漁具、空き缶、割れたガラスや陶器、魚の死骸。
気になったものを携帯で写真を撮りながら歩いていたところ、あるものに目を引かれた。
小さな人形が半分砂に埋もれている。
Mさんは別に人形が好きなわけでもないのだが、気まぐれに傍に落ちていた木の棒でそれを掘り起こした。
するとその女の子らしき人形が案外精巧にできていることに驚いた。
十五センチくらいの大きさながら、髪も眉も人間をそのまま小さくしたようなくらいに細かく植えられている。閉じているまぶたには細かいまつ毛がはっきり見える。棒の先でつついてみると、手足や首に継ぎ目がないのに曲がる。砂まみれではあるが、血の気の引いたような皮膚の色や質感にも生々しさがある。
これは本当に人形なのか。見れば見るほど作り物とは思えない。
生きているようには見えないが、もしかすると本物の小人ではないだろうか?
拾い上げてもっとよく見てみようと手を伸ばしたMさんの目の前で、人形の周囲の砂が突然ボコボコと湧き立った。
驚いて手を少し引いたのと同時に人形は砂に覆い尽くされて見えなくなり、後には何もなかったかのように平らな砂地だけが残った。
棒でいくらそのあたりの砂をかき回しても、あの人形は見つからない。
あの砂の動きはなんだろうか。下に何かの生き物がいたのか。それとも砂自体が動いたのか。
手で掘り起こすことも考えたが、あんな妙な動きをした砂に触れるのも気味が悪かった。
その日は結局何も拾わずにすぐ帰ったという。