着せ替え人形

Oさんは定年退職後の新たな趣味として釣りを始めた。釣りは子供の頃に友達がやっていたのを見たことがあるくらいで、自分でやるのは初めてだったから、本屋で教本を買って勉強しながらやってみようと考えた。
はじめは家のすぐ近所の運河で釣っていたが、あまり魚がかからない。教本で見たやり方をいくつか試してみたが変わらない。何回かやっているうちに場所を変えてみようと思い立った。
そこで自転車で二十分ほどの川まで足をのばして釣ってみたところ、ここが近所の運河より手応えがいい。運河より魚が多いのか、餌に食いつく頻度が多い。
気をよくしたOさんはそれからも何度かその川に通ったが、そのうちにこんなことがあった。
釣っていると浮きがくくくっ、と水中に引き込まれた。針を魚にかけるために竿を一旦止めてから、グッと引き上げる。すると意外に抵抗なく糸が持ち上がった。逃げられたか、と思ったが針に何かついている。
手元に引き寄せるとビニール製の着せ替え人形だった。手脚は取れていて、髪や顔は泥で覆われている。
なんだゴミか、と笑って針から外し、水中に戻すわけにもいかないので後で捨てようとゴミ用のビニール袋に入れた。
再び糸を垂らしたOさんだったが、程なくしてまた引きがあった。今度は魚か、と引き上げてみてOさんは笑ってしまった。
また人形だった。しかもさっきとほとんど同じ、手脚の取れた着せかえ人形だ。二つも人形が捨てられていたのか。
川を綺麗にするのも釣り人の仕事、と頷きながら今度もゴミ袋にそれを入れた。
違和感があった。
袋の中に人形がひとつしかないのだ。一個目の人形はどこへ行った?
先程袋に入れたと思っていたが、うっかりこぼしていたのだろうか。見回したが人形などない。
どういうことだろう、と首をひねりながらまた釣りを再開した。しばらく待っていると、ググッと糸が引かれた。
今度こそ魚か、と思いきや針にかかっていたのはまた人形。やはり手脚がない泥まみれの着せかえ人形だ。人形がかかっただけでこんなに糸が引かれるものだろうか。
流石にこれはおかしいとOさんも思い始めた。前二回とほとんど同じような状態の人形だ。これは同じような人形がいくつも川に沈んでいたのではなく、三度とも同じ人形なのではないか?
恐る恐るゴミ袋を覗くと、やはり先程入れたはずの人形がない。周囲に人の姿はなく、ほかの誰かが袋から人形を出して川に戻したとは考えられない。
人形が自分で川に戻ったわけでもないだろうが――。
Oさんはそれ以上考えるのはやめて、人形をゴミ袋に入れるとしっかり縛り、道具を片付けてその場を後にした。
袋の中身は確かめずにすぐ捨てたという。