カエル石

二十年ほど前、Kさんが就職して引っ越した頃のこと。
新居のアパートの裏手には小高い山があり、遊歩道もあって誰でも入れるようになっていた。
Kさんはそれまで街中に住んでいたので山の風景が珍しく、暇な時は度々この山を歩いた。
ある日曜の午後にもこの山を散歩していたKさんだったが、やがてどこかからカエルの鳴き声らしきものが聞こえてきた。
山のカエルだろうか、平地の田んぼや川辺では聞き慣れない声だった。どの辺りで鳴いているんだろう、と興味を惹かれたKさんは何となく声のする方へと足を向けた。
少し進むと道の脇が低くえぐれている場所があり、どうやらそこは大雨が降った時だけ川になるところのようで、水に削られたらしき土の上に石が露出していた。
水があるわけではないからそこにカエルの姿は見えなかったが、Kさんはその石の中に少し変わった形のものを見つけた。
鶏卵くらいの大きさで赤茶色をした石なのだが、その形が足を踏ん張って座ったカエルによく似ている。
Kさんは石に特別興味があったわけでもないが、その石はひと目で気に入ってついつい拾い上げてしまった。
手にとってまじまじと見てもやはりカエルのような形をしている。Kさんはそのまま石をポケットに入れて帰った。


翌朝目を覚ましたKさんは妙に体がだるいことに気が付いた。喉も腫れて声がおかしい。
これはまずいな、熱が出そうだ……。
しかしその程度で仕事を休むわけにもいかないし、Kさんはとりあえず朝食を済ませてから薬を飲むことにした。
すると台所では買ってあった食パンがすっかりカビだらけになっている。前日に買ったばかりで封も切っていないというのに。
そればかりか、冷蔵庫の中の肉や野菜まであらかた悪くなっているではないか。これは一体……。
朝食は出勤途中で済ませることにしたKさんは、悪くなっている食材を全てゴミ袋に突っ込んで家を出た。
幸いその日は帰宅するまでそれ以上体調が悪くなることはなかったが、仕事を終えて帰宅したKさんはまたしても異様な状況に直面した。
部屋の中が異常に湿っぽいのだ。キッチンからリビングに入ったKさんは、頭にぽたりと冷たいものが落ちるのを感じて首をすくめた。
見上げれば天井にはびっしりと水滴がついていて、次々に落ちてくる。
慌てて床に新聞紙を敷き、雑巾で天井を拭き取るとそれ以上水滴は落ちてこなくなったが、なぜこんなことになっているのだろうか。
Kさんの部屋は二階でその上には屋根しかないから、上の部屋から水漏れしてきたということはありえない。一日中晴れていたから雨漏りのはずもない。
一体何なんだと部屋を見回して、棚の上の石に目が止まった。昨日山で拾ったあのカエル石だ。
これを拾ってきた途端に朝から変なことが起きた。まさかこの石のせいなのか?
山に戻してきた方がいいだろうか?
しかしもう夜で、遊歩道と言えど山に入るような時刻ではない。明日の朝返しに行こう、とKさんはとりあえずカエル石をベランダに出して窓を閉めた。
寝ている間、近くであの山のカエルの声が聞こえていたような気がしたがただの夢かもしれない。


ただ、翌朝目を覚ましたKさんがベランダを見るとそこに置いたはずのカエル石が消えていた。
下に落ちているかとも思って探したものの、見つからずじまいだった。
それ以降は食べ物が早く腐ることも、天井に水滴がつくことも全くなくなったという。