Gさんの実家は香川の海辺にあり、家から徒歩五分のところにある堤防で幼い頃からよく釣りをした。
好きだから釣るというよりは、習慣のようにほとんど毎日堤防に行って釣り糸を垂らす。高校受験の前日にも釣っているところを学校の先生に見られて呆れられたこともあった。
しかし大学進学で大阪に出てきたGさんは海から少し離れた街に住んだせいで、しばらく釣りをしない日々が続いた。故郷を離れる前は少し不安だったのだが、自分でも意外なことに釣りをせずにいても落ち着いて過ごすことができており、なぜ実家にいる頃はあれほど釣りを続けていたのか不思議に思えるくらいだった。
大学に入って初めての夏休みにGさんは香川に帰省した。このとき大学の友人がひとり、一緒にやってきた。友人は大阪育ちで大学にも実家から通っており、Gさんの里帰りに旅行気分でついて来たのだ。
当初は友人を案内して観光でもするつもりだったのだが、実際に帰ってきてみるとどうにもまた釣りがしたくなってきた。大阪ではそんな気は全く起こらなかったのに、帰ってきて潮の香りを感じた途端にムズムズする。
そこで帰ってきた翌日の朝起きてすぐ、友人を連れて堤防に向かった。
他に釣り客の姿はない。いつもの場所に友人と並んで腰を下ろし、釣り糸を垂らした。
まだ眠そうな目をした友人とぽつぽつ言葉を交わしながらしばらくそこにいたが、釣れない。高校生の頃はもう少し手応えがあったような気がしたが、数ヶ月釣りをしないうちに勘が鈍ったのだろうか。
そんなことを考えていると、着ているTシャツの裾が後ろの何かに引っかかったような気がした。腕を回して探ったが、特に引っかかっているものはない。
後ろを見ても引っかかりそうなものがない。持ってきた釣り道具とバケツの他にはなにもない。
気のせいかと思いまた釣りを続けたGさんだが、また少しして裾が引っかかる感覚がある。
引っかかるというよりは、ツンツンと軽く下に引っ張られるような感じだ。まるで釣り針の餌を魚がつついているような弱い感触。
だがやはり後ろには何もない。友人がふざけて引っ張っているのかとも考えたが、友人は両手で釣り竿を持っていて、Gさんの方に手を伸ばした様子がない。
その後も何度か裾が引かれる感じがあったが、気にしないことにしてしばらく釣りを続けた。しかし全く釣れない。一時間ほどで切り上げて、帰って朝食にすることにした。
友人は釣りはあまり楽しくなかったのか、朝食の間もなんだかぼんやりした様子で、その翌日に釣りに誘っても今度は断られてしまった。仕方なく一人で行くと今度は裾が引かれることは一度もなく、更には勘が戻ってきたのか、以前のように順調に釣れた。
しばらく後になってから友人とこのときの話になった。
友人が真面目な顔で言う。あのときお前、後ろの方気にしてなかったか?
そう言われてGさんも思い出した。そういえばあの時の裾が引かれる感触はなんだったんだろう。
友人は続ける。
俺な、実は見とった。座ってた堤防のコンクリからな、手が出てた。小っさい手、赤ン坊みたいな丸い手ェや。
それがお前の裾をチョイっと引いて引っ込む。また少しすると手が出てくる。裾を引いて引っ込む。そんなのが釣りしとる間続いてたんや。
あのとき俺寝ぼけてるんかと思って何も言わんかったんやけど、後から考えるとやっぱり現実やったとしか思えんくてな。
何だったん、あれ? 心当たりあるんか?
友人は真剣な顔で聞くが、Gさんにも答えられなかった。
大学を出て大阪で就職したGさんは今でも帰省すると必ず釣りに行くというが、誰かと一緒には行かずに一人で釣ることにしているのだという。そして地元以外では全く釣りをしない。