夜の職員室

中学校で教師をしている人の話。
仕事が溜まっていて、他の先生はみんな先に帰ってしまった夜のこと。
校舎の戸締まりを確認してから職員室に戻ると、パソコンのキーボードを打つ音がする。
あれ、みんな帰ったと思ったのに。
そう思いながらパソコンに向かう人の姿をよく見ると、見覚えのある顔だ。
以前その中学校に勤めていて、二年ほど前に他の学校に異動したF先生だった。
来るという話も聞いていないし、もう時間も遅い。なぜ今、ここでパソコンを使っているのか。
……お久しぶりです、今日はどうされたんですか?
訝りながらも声をかけてみたが、F先生はパソコンの画面に視線を向けたまま、頷きも返事もしない。
ただ黙々とキーボードを打っている。
もう一度声をかけてもやはり反応はない。
その時あることにはっと気がついた。F先生が向かっているパソコンの画面は真っ暗で、何も映っていないのだ。
これはいよいよおかしい。誰か他の先生に連絡したほうがいいのではないか。
しかしその前に少し試してみたいことを思いついた。明かりを消したら何か反応するだろうか。
そこで職員室のドア付近にあるスイッチをまとめてオフにした。一斉に明かりが消え、窓の外の僅かな明かりが差し込むだけになった。
キーボードを打つ音は止んでいた。F先生がいた辺りは暗くてよく見えない。
すぐにもう一度明かりを点けると、F先生の姿はどこにもなかった。


もしかしてF先生の身に何かあったのではないか、と考えてすぐにF先生の自宅に電話をしてみたが、元気そうな本人が出た。

特に変わりはないということで、拍子抜けしてしまったという。

二時に来る

マンションの自室で眠っていたEさんが真夜中にふと目を覚ました。
布団に横になったまま時計に目を凝らすと、ちょうど夜の二時。寝付いてからまだ二時間ほどだ。
どうして目が覚めてしまったのかはわからないが、再び眠ろうと目をつぶったところで突如大きな足音が聞こえた。
足音はあっという間にすぐそこまで近づいてきたかと思うと、暗い部屋の中に誰かが飛び込んできた。
あっと思う間もなく、その誰かは勢いよく部屋を横切り、Eさんの寝ている上を一またぎに跳び越えて、その勢いのまま壁に吸い込まれるように見えなくなった。
わずか数秒の出来事である。
ええっ!?
うろたえながら身を起こしたEさんは部屋の明かりを点け、部屋の中を確かめてみたが特に荒れているところはない。玄関や窓もすべて施錠されていたから誰かが入ってこれるはずはなかった。
一体あれは何者だったのか。暗い部屋の中だったからその姿は真っ黒だったが、それほど長身には見えなかった。
しかしよく振り返ってみると、もしかしたら夢だったかもしれない。誰かが部屋に入れたはずがないし、壁に吸い込まれて消えたのも現実とは思えない。
早く寝てしまいたかったEさんはとりあえず夢だったと結論づけて、また布団に入った。


その数日後、また同じことが起きた。
真夜中にはっと目を覚ましたEさんは、数日前と同様に時計を見て、二時ぴったりなのを見た瞬間に嫌な予感がしたという。
その途端にまた足音がはっきり聞こえてきて、部屋に飛び込んできた誰かがEさんを跳び越えて壁に消えた。
前回と全く同じだ。
もしかしてこれは夢ではないのだろうか。
しかし今回も戸締まりは確かにしてある。生身の人間とは思えない。
Eさんは考えた結果、市内の神社から御札を貰ってきて、壁に貼ってみることにした。


更に一週間ほど経った真夜中、Eさんは例によって目を覚ました。
来たか、と思って時計を見るとやはり二時ちょうど。
すぐに足音が近づいてきて思わずEさんは布団の中で身を固くした。
足音が部屋に入ってこようというその瞬間、ドガン! というもの凄い音が響いて揺れが伝わってきた。
壁に何かが勢いよくぶつかったような様子だが、御札を貼ったちょうどそのあたりだ。
それきり部屋はしんと静まり返って、誰かが部屋に入ってくるということもない。遠ざかっていく足音もない。
恐る恐る起き上がって明かりを点けたEさんは部屋の中を確認してみたが、不審な誰かの姿は見当たらなかったし、何かが倒れたり崩れたりした様子もなかった。
それ以来は夜中の二時に目が覚めることも、誰かが飛び込んでくることもないという。

自習スペース

学生のNさんが市立図書館に勉強をしに行った。
市立図書館には四人がけの机が並ぶ他に、自習スペースとして一人用の机も複数設置されている。
幸いその日は一人用の机がいくつか空いていたので、Nさんはそのうちのひとつに腰を下ろした。
すると奇妙な感覚があった。椅子に腰掛けた瞬間から、周囲の音が急に遠くなったように感じられた。
図書館の中はもともと静かではあるが、周囲に利用者が何人もいるから、ページをめくったり椅子を引いたりする音はする。
だがそういった音が突然消えてしまったように感じた。まるで耳栓をしたかのように、周囲の音が遠い。
それだけではなく、視界もだんだんおかしくなってきた。ゆっくりと、周囲の本棚や壁がNさんに向けて迫ってくるように見える。
これはどうもおかしい……。
Nさんは腰を下ろしたばかりの椅子からすぐに立ち上がった。
その途端に音が戻ってきた。壁や本棚も元通りの位置にある。
これは……この席がおかしいのか?
もう一度同じ椅子に座る気にはなれなかったNさんは、四人がけの机に移動して勉強を始めた。
勉強しながら、最初に座った自習スペースの方を何度か眺めたが、Nさんが帰るまでそこには誰も座らなかったという。

液晶テレビ

Mさんの家でブラウン管テレビから液晶テレビに買い替えた、十数年前のことだった。
夜中、喉が渇いて目を覚ましたMさんが水を飲みに洗面所に行くと、リビングの方からおばあさんの声がする。
普段おばあさんは夜九時くらいには寝てしまって、朝まで起きない。こんな深夜に起きてるなんて珍しいな、一体何を言ってるんだろう、と気になってリビングに向かった。
リビングのドアを開くとおばあさんの言葉がはっきり聞こえた。
おじいさん! おじいさん!
おばあさんは新しいテレビに向かってしきりにそう呼びかけている。
もちろんテレビはおじいさんではないし、そもそもおじいさんはその二年ほど前に亡くなっている。
おばあさんも当時八十五歳だった。これ認知症かな、とドキドキしながらMさんはおばあさんの後ろから近づいていったが、テレビの画面が視界に入ってみると仰天して思わずあっと声を上げた。
画面いっぱいにおじいさんの顔が映っている。なぜか白黒テレビのようにモノトーンで映っているのが遺影のようだった。
しかし確かに亡くなったおじいさんの顔だ。向こうからはこちらが見えていないのか、何かを探すようにきょろきょろと見回している。引き続きおばあさんは何度も画面に呼びかけているが、聞こえていないようで特に反応を示す様子はない。
Mさんも一緒になっておじいさん、と呼びかけたが、やはり声は届かないようで、それから数分のうちにおじいさんの顔はだんだん薄くなって見えなくなってしまった。
おばあさんの話では、自室で寝ていたはずがいつのまにかリビングにいて、テレビにおじいさんが映っていることに気がついたのだという。


このことの影響があったかどうかはわからないが、おばあさんはそれ以来急に認知症が進み、体力もどんどん衰えていって、翌年の秋に亡くなった。

点滅

Fさんの中学1年生の娘が風邪で高熱を出した夜のこと。
深夜にトイレに行きたくなって起きたFさんがふと娘の部屋の方を見ると、ドアの隙間から漏れる光が目まぐるしく点滅している。廊下は暗いから部屋の中で明かりが点いていればよく見えるのだ。
あいつ、昼間に寝てたから眠くなくて起きてるんだな。
Fさんは寝るように注意しようと、足音を立てないように近づいて娘の部屋のドアを開けた。
すると暗い部屋の中で何かが足元にバサァ、と落ちた。
手探りでドアの近くのスイッチを押すと明かりが点いて、足元に落ちているのが娘の学校の制服だとわかった。
当の娘はベッドに横になってFさんの方を見ていたが、すぐに声を上げて泣き出した。
娘が落ち着くのを待ってから話を聞くと、こういうことがあったらしい。


夜中にふと目を覚ますと、部屋の中が明るい。誰が明かりを点けたんだろうと思ったところで、ドアの前に誰かが立っていることに気がついた。
同じ学校の制服を着ている。誰なの、と思ってよく見るとその顔は紛れもなく自分だ。
立っている自分は全くの無表情で、視線を上げてじっと天井を見上げている。
しかも奇妙なことに制服は上半身だけで、腰のところで途切れていて下半身がなにもない。
脚があるはずのあたりは向こう側にあるドアが見えている。
上半身だけの自分が浮かんでいるのだ。
これは夢かな、熱のせいで変な夢を見ているんだろうかと思いながらぼんやりそれを眺めていると、天井の蛍光灯が点滅を始めた。
始めは三秒ほどの間隔でゆっくり点いたり消えたりしたのが、だんだん間隔が短くなって目まぐるしい速さで点滅するようになった。
点滅する光の中で上半身だけの自分はじっと浮かんだままだ。気持ち悪い。
もうやめて、夢なら早く覚めて、と祈ったところで突然ドアが開いて部屋が暗くなったという。


Fさんは娘の話がすぐには信じられなかった。熱に浮かされて怖い夢でも見たんだろうと考えた。
だが、娘の部屋の明かりが点滅していたのも、制服がドアのすぐ側に落ちていたのも娘の話と一致する。
天井の蛍光灯のスイッチはドアの横にしかないから、部屋の奥でベッドに寝ていた娘に、Fさんが部屋に入る直前までそれを操作することは不可能に思えた。
娘の話の通り、部屋の中で何かおかしな現象が起きていたのだろうか?
娘は怖がっている様子だし、まだ熱もある。そのまま一人で寝かせておくのも心配だった。
とりあえずその夜はFさん夫婦の寝室にもう一組布団を敷いてそこで寝かせたという。

光るゴミ

朝七時過ぎ、出勤途中のことだという。
家から駅まで行く途中の道端に、その地区のゴミ収集場がある。
そこを通りかかると、なにやらゴミの中がぼんやり明るい。
そのあたりは建物の陰になっているから、毎朝暗いのが普通だ。それが何かの光に照らされている。
収集場は高さ二メートルほどの鉄の箱で、正面に金網を張った扉がついている。
扉越しに見えるゴミの中に、光る丸いものが見えた。
ゴミは市の指定ポリ袋に入れて出さなければならないが、その丸いものは袋に入れられていないまま、他のゴミの袋の間に挟まっている。
バスケットボールくらいの大きさの球体で、表面は滑らかな曲面だ。それが白っぽく光を放っている。
はじめは照明器具だろうか。電池が入っていて、捨てられてから何かのはずみでスイッチが入ってしまったのだろう。
でも粗大ごみは別の日だし、置いてあっても回収はしてくれないだろうな、と考えながらその前を通り過ぎようとした時、ゴミの中でガサガサッと音がした。
カラス対策に収集場の扉は閂がかかっているから、動物がゴミを漁っているとすればネズミか何かだろうか。
何がいるのか見てみようと金網に顔を近づけると、そのすぐ目の前にあの丸いものが飛び出してきた。
光る丸い物体は一度勢いよく路面で弾んでから、反対側の塀の向こうに消えた。
数秒間呆気に取られたが、すぐにいくつかの疑問が浮かんだ。
ゴミ収集場の扉は閉じたままだ。金網の目はどう見てもあの丸いものより小さい。どうやってあれはこの中から飛び出したのだろうか。
しかも飛び出して道路で勢いよく弾んだのに、全く音がしなかった。ボールか何かだったら弾む音がしたはずなのに。
ガサガサ音を立てていたのもあの丸いものなのだろうか。


丸いものの正体が気になったものの、どうにも得体が知れない。
塀の向こうを覗き込むのも不気味に思えて、足早にその場を立ち去ったという。

カタン、カタン

Mさんが結婚してすぐの頃の話。
当時住んでいた家は丁字路の角にあり、台所の窓が道路に面していた。
朝六時頃にMさんが台所で食事を作っていると、その窓の外でカタンカタンという音がする。
毎朝決まった時刻にそこを自転車が通って、路面にある排水路の蓋を車輪が踏む。その音のようだ。
誰がそんな早い時刻に自転車で通るのだろうと夫にその話をしたところ、それは多分二軒隣の家の息子だという。
片道一時間くらいかけて高校に通っているらしいから、そのくらい早い時刻に家を出るんだろうと夫は言った。
実際その後、夏場に窓を開けて朝食を作っていると、カタンカタンという音とともにその男の子の学生服姿が通り過ぎるのを何度か目にした。


ところがその子が突然亡くなった。高校から帰る途中の交通事故だった。
Mさんも葬儀に参列したが、十代の息子を亡くしたご両親は酷く憔悴した様子で、痛ましいというほかなかった。
もうあの毎朝の音は聞こえなくなるんだな、と寂しく思ったMさんだったが、その翌日のこと。
いつものように朝食を作っていると、また窓の外からカタンカタンと音が聞こえた。
錯覚かとも思ったが、次の日も、その次の日もやはり同じ音が同じ時刻に聞こえる。
今度は誰が通っているのだろうか。亡くなったあの子が通っていたのとちょうど同じ時刻に。
気になったMさんは、また次の朝に窓を開けて音の主を待った。
そろそろだ。そう思って炊事の手を止めながら窓の外を眺めたものの、それらしき通行者の姿はない。
今日は来ないのかな、と目を逸らしかけたところで、視界の端に動くものが映った。
カタンカタン。いつもの音が聞こえる。
確かに見えた。
窓の外を走り去ったのは、誰も乗っていない自転車だった。