外国語

中古車を買った人の話。
鮮やかなパールオレンジに塗装されたミニバンで、状態もよく、ひと目で気に入ったのだという。
だが数日乗ったあたりでおかしなことが起こり始めた。
運転中にカーステレオで音楽を聞いていると、曲に入っていない英語の声が聞こえてくる。
最初のうちは車外から聞こえてくるのかと思って気にしていなかったものの、どこを走っていても聞こえるのでどうやら車内から聞こえているらしいと気がついた。
ステレオのボリュームを落としてもその声の大きさは変わらない。だが何と言っているのかはよく聞き取れない。そもそも英語かどうかもよくわからなくなったが、とりあえず日本語ではなさそうだった。
カーステレオを使っていないときは声はしないようなので、惜しいとは思ったが車内で音楽を聴かないことにした。

 


それからしばらくは特に変わったこともなかったのだが、忘れた頃にとんでもないことが起きた。
運転中に左手をシフトレバーに伸ばしたところ、シフトレバーではないものに触れてぎょっとした。
視線を向けるとシフトレバーの上に自分のものではない毛深い手が載っている。
腕は後部座席からにゅっと伸びていた。
はっとして後ろを振り向きそうになったが、待てよ、と前を見るとすぐ近くに前の車の後部が迫っていた。
赤信号だった。
慌てて急ブレーキを踏んで、すんでのところで追突は免れた。
震えながら見回したときにはもうシフトレバーに伸びていた腕は消えていて、後部座席にも誰もいなかった。
それからすぐにその車は売ってしまったという。

予言

Kさんの祖父は釣りが好きで、家から自転車で二十分ほどの海岸によく出かけていた。
その日も釣りに出ていた祖父が帰ってきたので、当時小学生だったKさんが玄関で出迎えたのだが、どうも様子がおかしい。
いつもは釣った魚を入れたクーラーボックスを満足げに持って帰ってくる祖父がその日は手ぶらで、その上随分と浮かない顔をしている。
釣れなかったの? と尋ねると、祖父は曖昧な返事をしてからぽつりと呟いた。


Kなあ、おじいちゃん、もうすぐ死ぬんだと。


ぽかんとするKさんを尻目に、祖父は自室に布団を敷いて寝込んでしまった。
驚いた祖母や父が理由を尋ねると、祖父はぽつぽつと海であったことを語った。
海岸で釣りをしていると海の中から見たことのないものが出て来て祖父に話しかけてきた。
「気の毒だがお前はもうすぐ死ぬ。もう助からないから諦めて受け入れろ。早く帰って家族に別れを告げてこい」
そんな予言めいたことを言う。
驚いた祖父はすぐに帰ってきたのだという。
そんな話を真顔でするので父と祖母は呆れてしまった。
海の中からどんなものが出てきたのか祖父に聞いても、そこは言葉を濁して語ろうとしない。ただひたすら自分はもうおしまいなのだと言う。
翌日になっても祖父はずっと布団に横になったきりで、食事も取ろうとしない。どうやらそのまま最後の時を待つつもりのようだった。
たまりかねた祖母がお寺に行ってお坊さんを連れてきた。
祖父とは古くからの付き合いであるお坊さんは、祖父の寝ている部屋に一人で入っていって、二人きりで何やら話している様子だった。
一時間ほど経ってお坊さんは祖父と一緒に出てきて、もう心配することはないと言う。
祖父も元気を取り戻したようで、その日の夕食はご飯をおかわりするほどだった。
後で祖母がお坊さんに聞いたところによると、海では稀にそうした変なものが出て、惑わされる人がいる。だがそんなものに人の死を予言するような力はないから安心していい、ということだった。
祖父はそれから十年以上長生きしたが、この時を境に釣りはきっぱりやめてしまったという。

護摩の炎

お盆に帰省したNさんは、実家の近くのお寺で護摩を焚くというので両親と一緒に観に行った。
本堂に設けられた護摩壇に井桁に木が積まれ、そこに火を焚きながら住職が読経する。
護摩を見るのはNさんも初めてだったので住職の後ろに座って興味深く眺めていたが、見ているうちにも炎の勢いはますます盛んになる。
こんなに激しく燃やすものなのか、と驚きながら見つめているうち、なにやら炎が奇妙な形になっていることに気がついた。空中で炎が丸くなる瞬間があるのだ。
炎の上の空間になにか目に見えない丸いものがあって、そこに炎が当たったときに丸く見えるように思える。
しかし目を凝らしてもそんな丸いものが浮いているようには見えない。どうしてあそこだけ炎があんな動き方をするのだろう、と見ているうちに、ふっと一瞬その丸いものが人の顔に見えた。
見覚えのある顔だった。職場で世話になっている先輩の顔だ。
目をつぶって眠っているような表情だった。目の錯覚にしてはやけにはっきり見えた。
どうして先輩の顔が? 先輩に何かあったのか?


盆休みが明けて出勤してみると、先輩は有給休暇を取ってまだ休みだった。
有給なら心配いらないかな、と思ったが、有給の日数が過ぎても先輩は出勤してこず、その後一度も職場に顔を見せないまま退職してしまった。
上司や他の同僚もその詳しい事情は誰一人知らなかった。
やはりあのとき先輩に何かあったのだろうかと、Nさんはあの護摩の炎を思い出したのだという。

落指

ある人が庭木の剪定をしていた。
金木犀の枝を鋏で切っていると、枝と一緒になにか白っぽいものが足元にぽとりと落ちたのが見えたので、視線を下げた。
目を疑ったという。落ちているのは人の指だった。
まさか、と思って自分の手を見たが、指は揃っている。ではこれは誰の指だ?
枝の間を見上げてもそこに誰かがいるわけでもなく、周囲にも人の姿はない。誤って誰かの指を切り落としてしまったというはずはない。
ならばこれは指によく似た別のなにかだろうか、と腰を落として土の上のそれに目を凝らしてみたものの、やはり指だ。
恐る恐るつまみ上げて顔の前でまじまじと眺めてみても、作り物のようには見えない。少し甲にしわが寄って、産毛が生えているのがわかる。短く切られた爪の元あたりで皮が少し逆剥けになっていた。
持ってみた感触も、皮膚の下に硬い骨があるようだった。
すると背後で怒鳴り声が響いた。


「おいこらっ!」


びっくりして振り向いたが、誰もいない。
自分にかけられた声ではなかったのかと思って手元に視線を戻すと、持っていたはずあの指がない。
怒鳴り声で驚いた拍子に落としてしまったかと足元を見たが、それらしきものは見当たらない。
確かにあったはずのあの指が、わずか数秒の間に煙のように消えてしまっていた。
そのときになってから、指の断面を見ていなかったことに気がついた。あるいは断面などは元々なかったような気もした。はっきり見ていなかったものの、爪の反対側の端はつるりとした丸い形をしていたようにも思えた。
どうにも気味が悪くて、その日はもうそれ以上作業をする気がなくなってしまい、剪定の続きは翌週に持ち越すことにした。
翌週の作業中は特に変わったことはなかったが、金木犀はそれからひと月ほどで急に枯れてしまったという。

絞められる

大学生のWさんが友人の家で飲み会をした夜のこと。
男四人で集まったうちの一人は早々に酔っ払って床に横になるなり寝息を立て、その傍でWさんを含む残りの三人が談笑しながら飲み続けていた。
すると深夜一時頃、寝ていた一人が急に身を起こして荒い息を吐きながら苦しそうに首を押さえている。
一体どうした、と聞くと変な夢を見たという。
夢の中で全身真っ白な女に首を絞められ、その感覚があまりに生々しくて飛び起きたということらしい。
なんだ夢か、と起きていた三人は笑ったが、そこで異変に気がついた。
三人とも、首のあたりが赤くなっている。酒のせいかと思ったが、それまで飲酒しても首だけ赤くなった覚えなどなかったし、赤い痣がちょうど両手の指で締め付けたような形をしているのもおかしい。
たった今までお互いの向き合いながら会話していたのに、誰もそんな痣には気が付かなかった。
どうもこの数分の間に浮かび上がったとしか思えないが、原因がわからない。
一方の、首を絞められる夢を見たという友人の首はなんともなかった。
首の痣は一週間ほど消えなかったという。

南校舎

Oさんは高校生の時に軽音楽同好会に所属していた。
教室棟にある音楽室は吹奏楽部が使うので、同好会の練習は南校舎と呼ばれる別棟の二階で行われていた。この南校舎では時々変な出来事が起きたのだという。


ある日の夕方、Oさんが練習に行ったときのこと。南校舎の階段を上がったところで、二階の一室のドアが開いているのが見えた。
いつもOさんが練習に使っている部屋だ。誰か他のメンバーが先に来ているようだ。
そのまま廊下を進んでいくと、その開いたドアの中からぬっと腕が伸びてドアノブを掴み、パタンと音を立てて閉めてしまった。
見えたのは一瞬だったが、赤いチェック柄の長袖を着た腕だった。制服ではないから部員ではなさそうだった。
誰が来てるのかな、と思いながらOさんは数秒後同じドアを開けようとしたが、施錠されている。
今誰かがここ中から閉めたよな。悪戯で中から鍵かけたんかな。
元々自分が開けるつもりで鍵を持っていたOさんは、すぐにドアを開けた。しかし中には誰の姿もない。
その部屋にはドアはひとつしかない。窓はすべて内側から施錠されている。
さっき見えた腕の人はどこから出て行ったんだ?
そもそもあれ、誰だったんだ?
――という体験をあとで同好会の他のメンバーに話したところ、そんな腕を見たことがあるという者は他にいなかった。ただ、他の部屋でも閉めたはずのドアがいつのまにか開いていたことがあった、という話はいくつか出てきたという。
腑に落ちないままではあったが、無くなったものがあるわけでもなく、特に困ったことも起きていないのでその話はそこまでとなった。


その翌週、また同好会活動中のことである。
Oさんたちは練習していた曲をレコーダーに録音して演奏をチェックしていた。すると聴いているうちに何だか奇妙なことに気がついて、メンバーたちがいずれも訝しげな面持ちになった。
音が多いのである。
その時のメンバーにはギターは一人しかいなかったのに、なぜかギターの音が二本分聞こえる。一人が弾いているメロディーの裏でもう一本のギターが別のフレーズを弾いているのがはっきりわかる。
コードもリズムも合っていて、何も知らない人が聞けばその場で合わせて弾いているようにしか思えないだろう。
しかし録音中はそんな音は誰も気づかなかったし、それらしき人もギターも見ていない。
何度聴いても確かにギターは二本分鳴っている。不思議ではあったが自分たちの演奏を確認するには邪魔だ。
もう一度録り直そうということになったが、今度はそこにいるメンバーが弾いた分しか録音されなかったので、皆ホッとした表情になった。