影車

Fさんが中学生の長男を塾に迎えに行った帰り道のこと。
いつも通る道を車で走っていると、脇の住宅の陰から黒いものがぬっとはみ出してきた。
車が出てくるのかと思って減速したところ、黒いものはそのままゆっくりと路上に出てきた。
夜だというのにライトを点けていない。運転手は何を考えているんだ、と呆れたものの、すぐに勘違いに気付いた。
大きさだけは乗用車くらいあるが、ただの黒いかたまりで、タイヤも窓もない。車ではない。動物のようにも見えない。
そのままそちらに近づいていくのも躊躇われて、Fさんは車をいったん停めた。しかしその黒いなにかは次第にこちらに近づいてくる。こちらのライトが当たってもやはり真っ黒なかたまりにしか見えない。
こちらに近づいてくる。逃げようと思ったときにはもう目の前だった。
何だあれ、という長男の声と同時にバックギアを入れたが既に遅く、まっすぐぶつかってきた。しかし衝撃はない。
煙のように手応えがなく、ただそれが通り抜けていくときに一瞬車内が真っ暗になった。
すぐに街灯の光が差し込んできてはっと後ろを振り向いたが、黒い何かはもう見えなくなっていた。
直後、Fさんと長男は同時に叫んだ。
えっ、臭っ!!
車内には焦げた魚のようないやな臭いが充満していた。たまらずに窓を開けたが、臭いは二日後くらいまでしつこく残っていたという。