重なり

平日の午後、Kさんが大学から帰る電車の中でのこと。
講義が休講になっていつもより早い時間に帰ることにしたので、車内は人がまばらだった。Kさんはシートに座りながらスマホを眺めて過ごしていたが、そこへ誰かがこちらに向かって歩いてきた。
横目で見るとスーツ姿の中年男で、そのままKさんの眼の前まで歩いてきたかと思うと立ち止まり、シートに腰を下ろそうとした。
しかしそれがKさんの向かい側や隣ではなくKさん自身に座ろうとする体勢だ。スーツの背中が眼の前に迫る。
えっ、ちょっと待てよ、と男を止めようと腕を伸ばしたものの、その手は男に当たらず空中を泳いだ。
男はKさんの身体をすり抜けて重なる。ふっ、とクリーニング店のような匂いがした。
その途端、キキキキキッ! とけたたましいブレーキ音が響き、直後に激しい衝撃が車体を揺らした。
事故か! とKさんは腰を浮かせたものの、様子がおかしい。
ものすごい衝撃があったはずなのに、電車は相変わらず走り続けている。他の乗客も特に慌てた様子がなく、みな平然とシートに腰を下ろしている。
周囲に視線を走らせたが、あのスーツの男はどこにもいない。
そのまま同じ席にいるのは気味が悪かったのでKさんは隣の車両に移動したが、またあのスーツの男がやってこないかと、電車を降りるまで不安できょろきょろしていたという。