雨男

Sさんが高校生の頃、お父さんの運転する車で出掛けた帰りのことだという。
急に大粒の激しい雨が降ってきて、ワイパーを動かしても前が見えにくいほどの状況になった。するとお父さんはあれっ、と声を上げて車を道端に停めた。
お父さんは雨が吹き込むのも構わずに窓を開けて、すぐ傍を歩いていた男に声をかけた。
――おう久しぶり、ひどい雨だな、乗っていくか?
男はすぐに後部座席に乗り込んできた。Sさんの知らない大人だった。彼は傘を差していなかったのでずぶ濡れだ。
お父さんはSさんに紹介しようとしないし、男も自己紹介しないので誰なのかわからないが、とりあえずSさんがこんにちはと挨拶すると男は無言でうつむくように会釈した。元気がないというか、陰気な印象だった。
二人の会話からすると男はどうやらお父さんの同級生らしかった。会話といってもほとんどお父さんから一方的に話しかけているだけで、男は「ああ」「うん」くらいに相槌をうつだけで、それでもお父さんは気にせず饒舌に語りかける。昔からこういう関係なのだろうかとSさんは助手席で黙って聞いていた。家でのお父さんは口数が多い方ではないので、友達に対してはこんなに話すのかと意外でもあった。
少し走ると男が「ここまででいいよ」というのでお父さんは車を停めた。その頃には雨は小降りになっていて、男は後部ドアから降りるとすぐに路地に入って見えなくなった。
男が降りるとお父さんはまた普段のように口数が少なくなった。
さっきの人、友達? Sさんがそう尋ねると、お父さんはうん、いやまあ――と曖昧な返事をした。
そして少し黙り込んだ後に、ぽつりと言った。友達のはずなんだけど、どういうわけか思い出せないんだ。誰だったかな。
なにそれ、そんなに親しくなかった人なの? と聞くとよくわからないという。
雨の中を歩いている姿を見てすぐに誰だかわかったし、車に乗せている間はあれが誰だか疑いもしなかったのに、あいつが降りた途端によくわからなくなった。いつの友達だったんだろう。
お父さんはしきりに首をひねっている。
そんなのおかしいでしょ、とSさんが後部座席を振り返ると、シートはずぶ濡れの男が座っていたのが嘘のように乾いていた。