ケーキ

Mさんが新婚の頃のことだという。
奥さんの誕生日、職場近くの店に予約してあったケーキを仕事帰りに受け取った。
それからいつも通り電車に乗り、駅から自宅までの道を急いだ。
しかしどういうわけか、道に迷った。
たかだか歩いて十分程度だ。毎日通う慣れた道だし、多少脇道に逸れても大抵の街並みは見知っている。
ところがこのときはどこをどう間違ったのか、気がつくと一向に見覚えのない道に入りこんでいた。
引き返そうにも、来た方向にも知らない街並みしかない。
スマホの地図を見てみたが、現在位置は確かに自宅と駅の間なのに地図と目に見える周囲の状況が全く一致しない。
何とか知っている場所に出ないかと、一時間近く知らない町を行ったり来たりしているうちにへとへとになり、ついに道端にへたりこんだ。
体力が尽きると気力も尽きる。
大切な日だから早く帰りたいのに、一体どういうわけなのだろう。このまま帰れないのだろうか。
そんなことを考えていると、すぐ近くから声をかけられた。
そんなところで何してんの?
妻が不思議そうにMさんを見下ろしている。見回すと、自宅アパートのすぐ傍だった。
助かった――と安堵しながら立ち上がったところで違和感があった。持ち上げた箱が軽い。
箱の中のケーキが消えていた。目の前で箱に詰めてもらったのだから受け取ったときには確かに入っていたのに、ケーキの下に敷いてあった銀紙しかない。
受け取ってから一度も箱を開けていないのに。家の近所で道に迷ったことといい、頭がおかしくなりそうだった。
話を聞いた奥さんは、苦笑いしながら言った。狐かなあ。
奥さんの実家は高知の山の中で、周囲の人から狐に化かされた話を聞かされて育ったという。


ケーキは翌日買い直した。今度は迷わず帰れた。