叫び

真夜中のこと。
Rさんがいつものように夫と幼い娘の三人で川の字になって寝ていると、夫が突然大声を上げた。


ああああああああああああ!!


横になったまま目を見開いて、ひどく怯えた様子で叫ぶ。その声で目を覚ましたRさんが宥めようとしたが、一体何がそんなに怖いのか、Rさんの言葉が届いた様子もなく、天井に向けて大声で悲鳴を上げ続ける。
体を動かさずにじっと上を見上げたまま叫んでいるのも尋常ではない。何かに怯える人は逃げようとか隠れようとか何かしら動くはずだろう。どうにもまともな様子には見えない。
Rさんの方もすっかり狼狽えて、病院に連れて行ったほうがいいだろうか、救急車を呼ぶべきだろうか、と迷っているところで、ふっと声が止まった。
夫はといえば穏やかな寝息を立てて寝付いている。たった今まであんなに大声で叫んでいたのが嘘のようだ。呼吸は落ち着いているし、顔色も悪くない。
叫んでいたのは五分間くらいだった。単なる酷い寝言だったのだろうか。それにしても切り替わりが急すぎる。
何にせよ、鎮まったのならもう心配することもないのだろうか。釈然としないながらも改めて横になったRさんだったが、そこでもうひとつ気になることに思い当たった。
娘が起きなかったことだ。
あれだけ大騒ぎしたのに、娘は今も規則的な寝息を立てて眠っている。いくらなんでも鈍すぎるのではないか。子供だから眠りが深いのかもしれないが。


翌朝、Rさんは夫に昨夜のことを尋ねたが、夫は何も覚えていないという。やはり単なる寝言だったのだろうかと、Rさんはそれ以上追求しなかった。
ところがその日の深夜にも、Rさんは叫び声で飛び起きた。


わああああああ!
ああああああああ!!


今度は娘だった。前夜の夫と全く同じように、仰向けになったまま目をカッと開いて叫んでいる。
どうしたの!? 何が怖いの!?
呼びかけてみても娘は叫び続けるばかりだ。Rさんは夫を起こそうとした。
しかし夫は穏やかな顔で眠っている。いくら声をかけても、揺り動かしても目覚める気配がない。
一体なんなの……。
Rさんが途方にくれているとこれまた前夜の夫と同じように、娘は突然静かになった。
やはり翌朝には娘は夜中に叫び声を上げたことを何も覚えていなかった。


夫、娘とくれば次は私の番だろうか。Rさんは怖くなった。
寝る前に夫にも自分が夜中に叫びだしたら引っ叩いてでも起こしてほしいと頼んでおいた。
しかし拍子抜けしたことに、次の朝まではぐっすり眠れて、夜中に変わったことはなかったようだった。夫も娘も何もなかったという。
ほっとしたRさんだが、またすぐに不安になってきた。
夫も娘も自分自身が夜中に叫んでいたことを覚えていなかった。それにすぐ傍で叫び声が上がっていても全く目を覚まさなかった。もしかすると自分も同じで、本当は夜中に叫んでいるのに覚えていないのではないか。


それを確かめるために、Rさんはポータブルのレコーダーを買ってきて寝る前に部屋に置いた。寝ている間の部屋の音を録音するためだ。
これで三人の誰かが叫んでいればわかるはずだ。

翌日、Rさんは録音を再生してみた。叫び声は入っていなかった。
ところが、先に進むにつれてだんだん雑音が混じってくる。ラジオの電波が乱れているような聞こえ方をする。
しかし室内の録音に電波は関係ない。何の音だろうと聞き進めていくと、やがて何の音なのか聞き取れるようになってきた。
ざわざわと大勢の人間の話し声、足音。そんな雑多な音が混じり合っている。
これは人混みの音だ。
ひとつひとつははっきりとは聞き取れない大勢の話し声、すぐ近くや遠くを足早に行き交う靴音。
そんな音が録音が終わるまで一時間以上続いていた。新品だから、レコーダーに元から入っていたはずはない。寝ている間にこんな音が寝室でしていたというのだろうか。
気持ち悪いのでその録音データはすぐ消したという。