海天狗

釣り好きのKさんはよく海辺に釣りに行く。
よく行くポイントでは同好の士と顔を合わせることも多く、そのうちの何人かとは連絡を取り合うくらいには親しい。
あるとき釣りに行くと他に釣り人はいなかった。港の端の突堤で、いつ行っても数人は釣りをしているような人気のポイントだ。珍しいこともあるものだと思いながらも独り占めしている気持ちで釣りを始めた。
この日は釣れた。
アジ、イワシ、サバ。
いつもより明らかに釣果が多い。他に釣り人がいないからなのか、それとも他に理由があるのかはわからないが、そんなに釣れたのは初めてのことだった。クーラーボックスの魚を見ながら、今夜は刺身で一杯やろう、いやフライもいいな、などと悦に入る。
そろそろ帰ろうかと思ったあたりで、誰かがこちらにやってくるのが目に入った。男がひとり、突堤をずんずん歩いてくる。
お面を被っているのかと思ったが、近づいてくるにつれてそうではないことがわかった。顔が塗ったように真っ赤だ。天狗や鬼の面のような鮮やかな色をしている。
しかし表情は穏やかで、別に鼻が長かったり牙を剥いていたりはしない。海をまっすぐに見つめながら歩いてくる。
そして背が大きい。二メートル近くはあるのではないか。
男はKさんには目もくれず、背後を通り過ぎると突堤の先端で立ち止まった。数分間そのままじっとしていたが、また踵を返すと来た時と同じ歩調で戻っていった。そしてその背中は防風林の中で見えなくなった。
おかしな格好をしていたが特に変わった行動はしていなかったし、単なる散歩だろうか。
それからすぐにKさんはその場を引き上げた。


家に帰ってクーラーボックスを開けたKさんは仰天した。先程釣った魚が、一つ残らずグズグズに腐って悪臭を放っていた。