南国の風


学生のEさんが夢を見た。
周りに木が等間隔に並んでいる。畑だろうか。大きな葉が八方に広がる、南国の植物だ。
照りつける日差しは強く、肌が焼けてしまうなと思ったが、木々の間を抜ける風が汗を乾かしてくれて心地よい。
さらさらと葉が風に揺れる音を聞きながら木々の間を進むと、向こうから誰かが歩いてきた。
両手に何か大きなものを抱えている。何を持っているんだろうと目を凝らしたところで朝だった。
はっきりした感覚が残る夢だった。じりじりと肌が焼ける暑さや、爽やかに抜ける風、木々の葉擦れの音。
たった今まで実際にそこにいたかのような実感があった。
しかし全く知らない場所だった。北国生まれで東京の大学に通うEさんは、あんな南国に行ったことはない。
テレビか本か何かで見た光景を夢で思い出したのだろうか。
夢とはいえ初めての土地に行った新鮮な気持ちを味わえて、少し浮かれた気分になりながら家を出た。
ところが一歩踏み出したところでガスの元栓を閉めたかどうか気になった。
確認しようと閉めたばかりのドアに手をかけたところで、ドサッと音がした。ドアの内側からだ。
何かが落ちたような鈍い響き。部屋の中で何かが崩れたのか。
まったくもう、とドアを開けた。アパートの間取りは玄関からすぐキッチンになっている。
キッチンの床に潰れた一本のバナナがあった。まだ青い未熟な果実だ。
何かで押し潰されたように中身がはみ出している。
出かけるところだったので慌てて片付けた。潰れたバナナからは青臭さがぷんと立ち昇っていた。
その臭いに顔をしかめながら、Eさんは疑問を抱いた。
Eさんはバナナなど買った覚えはないし、家の中にそんなものは置いていない。
そもそもこんな青いバナナが売っているのも見た覚えがない。
見回しても家の中で他に変わったことがない。どこからバナナが出てきたのか。なぜ潰れていたのか。
ティッシュを何枚も使って床を拭き、それからガスの元栓を確認したがこれはしっかり閉めてあった。
急いで外に出て、再びドアに鍵をかけたときにふと思い出した。
夢の光景だ。
南国の木々の向こうから歩いてきた誰かが抱えていたもの、あれは大きな房になったバナナではなかったか。


奇妙なことに、夜になって帰ってきた時、ゴミ袋には潰れたバナナも、それを拭いて捨てたティッシュも見当たらなかったという。