信号待ち

Mさんが出張で遅くなった帰り道、途中のトンネルのすぐ手前で信号が赤になった。
朝早くに家を出たのでもう今日はすぐ帰って寝たい。そんな気分だからか、信号が変わるのがいやに遅く感じられる。
いつもは通らない道なので道順をあれこれ考えながら信号が青になるのを待ったが、一向に変わらない。
まさか押しボタン式なのか、と支柱を見たり、感応式のセンサー範囲に車が入っていないのか、と上を見たりしたがそういったものは見当たらない。
夜中の山道で対向車も後続車もいない。赤信号でも無視して進んじまうか、と改めて周囲を見回したところですぐ傍に花が見えた。
斜め前方の電柱の根本に、ガラスの花瓶に立てられた花がある。街灯に照らされてそこだけ浮かび上がって見える。
ここで事故があったらしい。
なんとなく信号無視を咎められた気がしてばつが悪い。しかし他に誰もいないので信号無視しても事故など起こりようがない。
信号はまだ赤だ。
構うか、とブレーキを緩めそうになったところで、花瓶が倒れた。
風はほとんどない。誰も花瓶に近づいていない。花瓶がひとりでに倒れた。
車の中からはわからないような何かの振動で倒れたのかもしれないが、どうも気味が悪い。
信号はまだ赤だ。
いくらなんでも長すぎないだろうか。もう五分以上は信号待ちしているような気がする。
信号がおかしいのだろうか。
勝手に倒れる花瓶といい変わらない赤信号といい、あまりこの場に長居したくない。
やはり進もう、ともう一度前後左右を確認して、違和感があった。
花瓶が倒れていない。最初に見たときと同じように花瓶が花ごと立っている。
振動か何かで倒れることはあっても、ひとりでに立ち上がるはずがない。
周囲に人の姿はない。Mさんが視線を外したほんの僅かな間に誰かが花瓶を起こしたということはありえない。
さっき倒れたのは見間違いだったのか?
訝るMさんの視線の先で、花瓶が倒れた。もちろん誰も近づいていないし、風もない。
先程の光景がそっくり繰り返されている。
背筋に嫌な汗が吹き出した。
もしもう一度、花瓶が起き上がったら。そしてそれがまたひとりでに倒れたら。
Mさんはすぐに車をバックさせてから方向転換して、その信号を避けて帰ったという。