ついてきたもの

Hさんの娘夫婦がそれまで住んでいたアパートから引越して、Hさん宅の近くの借家に住むことになった。
急に決まった話で、引越しの直前までHさんもその話を聞かされていなかったので、その経緯を娘に尋ねた。
すると娘は何やら口にするのを躊躇う様子である。
万事はっきりした性格の娘にしては珍しい態度だと思いながらHさんが話を促すと、娘は迷った末に語り始めた。
アパートに夫婦以外の誰かがいるのだ――という。
はっきり誰かの姿が見えるわけではないものの、開けた覚えのない窓が開いていたり、誰もいないトイレから水を流す音が聞こえたり、寝ている間に台所を歩きまわる足音が響いたり。
いないはずの誰かが確かにいる。住み始めた時にはそんなことはなかったのに、いつの間にそんなことになったのだろうか。きっかけに心当たりなどない。
しかしそんな部屋にこれ以上暮らしたくない。
そう考えた娘夫婦は、急遽引越し先を探してアパートを出ることにしたのだという。


引越し作業はHさんも手伝った。
作業しながらアパートの中を見回したものの、Hさんにはおかしな気配は感じ取れなかった。
大きい荷物は業者に頼んだので、細々としたものだけを持って娘の車で一緒にアパートから新居に移動した。
載せた荷物を一通り下ろし、あとはお茶でも入れて一服しようかと考えたときのことである。
Hさんと娘夫婦の目の前で、たった今施錠した車の後部ドアがグワッと開いた。
えっ、と硬直する三人の視線が集まる中、開いたドアはまたひとりでにバムッと勢いよく閉じた。
その車は娘夫婦の自家用車で、タクシーのような自動ドア機能は当然付いていない。
今のはなに?
誰が開け閉めした?
……娘夫婦が住んでいたアパートではいつの間にか窓が開いていたことがあったという。
今のもそういうこと?
窓を勝手に開けていた見えない何かが、車に乗ってついてきてしまった……?
こうしてはいられないと、Hさんは急いで最寄りのコンビニへ走った。
そうしてすぐに戻ってくるなり、買ってきた塩を手づかみで娘の車に向かって叩きつけるようにばら撒いた。
「このっ! ついてくんな! 出てけ!」
息を切らせながらもそう叫んで後部座席のシート周りにも振りかけた。


それ以来ふた月ほど様子を見ているが、今のところ娘夫婦の新居におかしなことは起きていないのだという。
「塩が効いたのかなとは思ってるけど、後始末はホント大変だったよ」
Hさんはそう言って笑った。