学習塾で働いていた人の話。
その塾は県内に七つほど同じ系列の教室があり、当時その一つで教室長を務めていた。
教室長は他の講師同様に授業も行うこともあるが、それより授業の管理や保護者との連絡、他教室長との会議、新規入塾の案内や手続きといった仕事のほうが多かった。
だから電話をかけることも多く、電話の内容は必ず専用のノートに記録することにしていた。
あるときこのノートでここ数日のメモを確認していたところ、ひとつの記述が目に留まった。
「○月○○日13:00、面談」
思わず首をかしげた。保護者との面談予定をこのように書き込むことは普通にある。だが、誰との面談なのかが書かれていない。
うっかり書き忘れたのか。一体これは誰との面談予定だったか。
思い出せない。――というか、こんなことを書いた記憶がない。
しかしこの癖字は確かに自分の筆跡だ。このノートを使うのも自分だけ。自分で書いたことには違いないのだろう。
面談の予定はこのノートだけでなく、パソコン内の予定表にも入力している。そちらも確認してみた。
確かに同じ日付と時刻に面談の予定がある。だがこちらにも相手のことが載っていない。自分で入力したはずなのに、誰と面談するつもりでここに入力したのかが思い出せない。
一体自分は何を考えて面談予定を記録したのか、全く思い出せない。
相手がわからないから電話で確認するわけにもいかない。だがその時刻に面談が確かに入っているのならば、同じ時刻に他の予定を入れずに待っていればいい。
面談の目的がわからないのは難点だが、新規入塾、成績相談、進路相談、考えられる範囲で必要な資料を用意して当日を待った。
平日の十三時、生徒の中高生は学校に行っている時間帯だから面談の相手は保護者のはずだ。塾の授業も始まるのは夕方だから他の講師も来ておらず、教室長一人だった。
そして十三時になった。誰も来ない。
十分経っても十五分経っても誰も現れない。
すっぽかされたのか、それとも最初からそんな面談の予定はなかったのか。
三十分経っても来なかったら元から無かったことにしてしまおうか、などと考えていると電話が鳴った。
面談に遅れるという連絡だろうか。
そう期待しながらすぐに出たが誰の声も聞こえない。無言電話か。
切ろうとしたところでぽつりと声がした。
「ありがとうございました」
何が、と聞き返そうとするとすぐに通話が切れた。何の礼だ。悪戯電話か。
結局その後も面談の相手は来ず、念の為に十四時まで待ったが無駄だった。
あるいはあのメモに続きがあって、別のところに詳しい内容を書いていたのではなかったか。
そう思い至ったのであのメモの周辺を見返そうとノートを開いてみたが、そこで少し鳥肌が立った。
「○月○○日13:00、面談 済」
いつの間にか、自分の筆跡で赤く「済」の字が書き加えられている。
もちろん書いた覚えはない。
しかしまるで知らぬ間に誰かと自分が面談を済ませていたようではないか。先程の電話は悪戯でも間違いでもなく、そのことへの礼だったのか?
一体誰との面談だったのだろうか?