レッスン中

小中学生向けの英語教室で事務のアルバイトをしていたKさんの話。
一階の事務室で仕事中、玄関正面のカウンターに女性がひとり現れた。教室に通ってきているS美ちゃんという小学生のお母さんだ。
Kさんがそのお母さんの顔を見るのはしばらくぶりのことだった。以前は教室の玄関までお母さんがS美ちゃんを毎回送ってきていたのだが、ここ最近はS美ちゃん一人で入ってくることばかりだった。
その時はレッスン中で、S美ちゃんも二階の教室にいた。
応対したKさんに、お母さんは済まなそうな顔をして言う。
「今日はちょっと用事ができてしまって迎えが遅くなりそうでして、申し訳ありませんがレッスンの後にS美をここで待たせていただけませんか?」
大丈夫ですよ、とKさんが請け合うと、お母さんは深々と頭を下げて静かに出ていった。
何か急用でもできたのかな、電話一本入れてくれれば済む話なのに、あのお母さん丁寧な人ね、などと考えているとやがてレッスンが終わり、生徒たちがぞろぞろと下りてきた。
KさんはS美ちゃんに、先程のお母さんの話を伝えた。
するとS美ちゃんは怪訝な顔をした。お母さん入院してるんだけど、と言う。
しかし先程話した相手は確かに何度も会った覚えのある、S美ちゃんのお母さんだ。見間違えたはずはない。
お母さんにお姉さんか妹さんいる? とS美ちゃんに尋ねたが、いないという。先程の女性はS美ちゃんのお母さんで間違いない。
それじゃあ今日退院したのかな、とS美ちゃんに話すと、そんな話は聞いていないという。
それからすぐにS美ちゃんの携帯電話に着信があった。
S美ちゃんは玄関のあたりでぼそぼそと話していたが、通話が終わった後の様子がおかしい。うつむいて暗い顔をしている。
電話の用件について聞くと、お父さんからだという。
お母さんの容態が急変したという報せがあったからすぐ病院に向かう。英語教室にはおじいちゃんが迎えに行くからおじいちゃんの車で病院に来なさい、ということだったらしい。
それから十五分ほど後におじいちゃんが迎えに来て、S美ちゃんは急いで出ていった。


後日伝え聞いた話によるとS美ちゃんのお母さんはその翌日に病院で亡くなったという。Kさんの前に現れたのは、容態が急変した後のはずだった。
最期に娘のことが気がかりで姿を見せたのだろうか。しかしなぜ娘に直接会わず、Kさんにだけ顔を見せたのかはわからない。
レッスン中だったから邪魔をしたくなかったんでしょうか、とKさんは語った。