笛の音

雨の日のことだったという。
Tさんが小学校から帰ってきてから居間で過ごしていると、後から帰ってきた中学生のお姉さんが辺りを見回してさかんに首を捻っている。
「なんか、笛の音がする」
お姉さんの言葉にTさんも聞き耳を立ててみると、かすかながらも確かに笛の音が聞こえる。
途切れ途切れな音なのでよく聞き取れないが、何かの曲を演奏しているようだ。
他の部屋でテレビかラジオが付けっぱなしになっているのかとも思ったが、家の中を見回ってもそんなことはなかった。
ならば外からかと思って家の外に出てみれば、今度は全く聞こえない。
つまり笛の音は家の中からしているということになるが、しかしその発信源がわからない。両親はまだ帰ってきていなかったので、家にはTさんとお姉さんしかいない。二人とも、どこから音がしているのか見当が付かなかった。
家の中を探しまわっているうち、いつの間にか音は止んでいた。


また別の日の夕方。
Tさんが学校から帰ってくると、また家の中でかすかに笛の音が鳴っている。
またあちこち探してみたものの、音が小さいためにやはり音源はさっぱりわからない。
しかし外では聞こえないから、家のどこかで鳴っているのは間違いなさそうだった。
それから数日して、また同じ笛の音が聞こえてきた。
どうせ探してもわからないのだし、そのうち止むだろう。Tさんはそう考えて、気にしないことにした。
ただ、三回目ともなると気がついたことがあった。
笛の音が聞こえてきたのは、いずれも雨の日だ。雨が降っている夕方に家に帰ってくると、なぜか笛の音が聞こえてくるのである。


それから十年ほど経って、震災があった。
酷い揺れのせいで、Tさんの家でも屋根瓦が落ちたり壁にヒビが入ったりという被害があった。
家の中の被害状況を確かめるために、屋根裏に上がった時のことである。
片隅に、新聞紙に包まれた平たいものがあった。屋根の雨漏りのために濡れてしまっていたようで、新聞紙は大きく染みになっている。
誰もそんなものの存在を知らなかったが、包みを開いてみると中身は油絵の描かれたカンバスだった。
その絵を見て、Tさんはあっと息を呑んだ。
マネの「笛を吹く少年」の模写だった。
雨の日にだけ聞こえていた笛の音と、少年の持つ笛が繋がった気がした。


なぜその絵が屋根裏にあったのかは誰も知らなかったが、絵を描いたのは亡くなったおじいさんだろう、ということだった。
それ以来、雨の日の笛は聞こえなくなったという。