釣り人

Hさんが友人二人と一緒に旅行をした。
温泉宿に泊まった三人は、昼間はしゃいだせいと夕食で飲んだビールのせいで、早々に床についた。
その夜Hさんは非常に寝苦しい思いを味わい、悪い夢を見て何度か目を覚ました。
更には枕が合わなかったためか、翌朝起きた時には酷く首筋が痛んだ。
友人達もよく眠れなかったようで、ひどく疲れた様子だった。
そのせいでいくつか予定を取りやめて早々と帰路につくことになった。
それから二週間ほど経ったあるときのこと。
友人たちと雑談をしていると、話題が旅行の思い出に及んだ。
二日目には体調が最悪で折角の旅行が台無しだった、とHさんが愚痴をこぼすと、同行した友人たちが顔を見合わせた。
その様子が何やら物言いたげだったのでHさんがわけを尋ねると、ためらいがちに友人達はいう。
「言ってなかったけどさ、実はあの夜、変なものを見たんだよ」


宿に泊まったあの夜。
寝ていると、部屋の中で唸り声が聞こえる。
うるさくて二人が目を覚ますと、唸っていたのはHさんだった。
横になったまま、苦しそうに喉の奥を鳴らしている。
どうした、と声をかけようとした二人だったが、なぜか声が出ない。
それどころか、首から下がひどく重くて身動きさえ取れなかった。
何とか起き上がろうと頑張っていると、ふと部屋の隅に誰かが立っていることに気が付いた。
浴衣姿の老人で、暗い部屋の中でもなぜか姿がくっきり見える。
老人は右手に竹の釣り竿を持っていて、ゆっくりとそれをHさんの方にかざした。
するとHさんの唸り声が小さくなって、同時にHさんの頭が次第に持ち上がっていく。
Hさん自身が起き上がっているのではなくて、Hさんの頭が真上に吊り上げられているような動きだ。
老人の釣り竿の先も下に向けてしなっている。
釣り糸が付いているようには見えなかったが、それでも老人がHさんを釣り上げているようにしか思えなかった。
老人は数秒間Hさんを釣り上げるとまた静かにHさんの頭を下ろし、闇に溶けるように見えなくなったのだという。
しかしそれから少し経ってからまたHさんが唸りはじめ、また老人が現れてHさんの頭を釣り上げる。
そんなことが朝までの間に四度ほど繰り返されたという。


そんな話を聞かされたHさんは、何で起こしてくれなかったんだよ!と怒ったが、俺達も動けなかったんだよ!と友人達が言うのでそれ以上責めるわけにもいかなかった。