ジャージの生徒

会社員のKさんは若い頃、高校の教師をしていたことがある。
数年で辞めてしまったので赴任した学校はひとつだけだったが、その高校には「出る」という噂があったらしい。
実際、Kさんが受け持ったクラスの生徒の中にも何人か奇妙な体験をしたという者がいた。
放課後の校舎に忘れ物を取りに戻ったところ、赤ん坊の声がいくつも聞こえてきたとか。
何人かの先生の後を黒い犬のようなものが付いて歩いていたとか。
Kさんが聞いただけでも片手では数えきれないくらいの体験談があった。
その高校は地域でも二番目に古い高校で、確かに何かおかしなものが潜んでいてもおかしくなさそうな雰囲気はあったのだという。
実際、Kさん自身もおかしな出来事に遭遇したことがあった。
ある日の放課後、グラウンドの端で生徒二人と立ち話をしていた時のこと。
グラウンドでは野球部や陸上部が練習をしており、Kさんはそれらと目の前の生徒たちを交互に眺めながら会話をしていた。
すると、グラウンドの端の高く張ったネットの下あたりをこちらに歩いてくる人影に気が付いた。
一見して別に変わった所もなく、ありふれたジャージを身につけた男性だったのだが、Kさんはなぜかその人物に注意を引かれた。
当初Kさんはその人物を、別の高校にいる知り合いの教師だと思ったらしい。
しかしよく見れば全く違う顔をしていて、年の頃も教師どころか生徒くらいの少年に見えた。
なぜその教師だと思ったのか、Kさん自身にもよくわからない。
ただ、よく観察してみるとどこか普通ではなかった。
まずジャージはともかくとしても、髪型がどこか時代遅れな印象を受けた。
他の生徒達には見られない髪型で、どちらかと言うとKさん自身が学生だった頃によく見たスタイルだったという。
あんな生徒いたかな?
見覚えのない顔で、何年生なのかもわからない。
しかし表情までよく見える距離に近づいてきた時、彼が満面の笑みを浮かべていることがわかってKさんはなぜか、酷く厭な気分になった。
誰かと会話しているわけでもなくただこちらに歩いてくるだけなのに、妙に楽しそうな笑顔を顔面に張り付かせている。
笑顔のままこちらにどんどん近づいてきていた。
Kさんはその笑顔を見ているのが無性に不安になり、思わず視線を逸らして会話相手の生徒たちを見た。
しかしやはりあのジャージの生徒は気になる。
一拍置いてまたグラウンドに目をやると、あの生徒の姿はどこにも見当たらなかった。
Kさんの位置からはグラウンドのほぼ全体が見渡せる。
つい今しがたまであの生徒が歩いていた場所からの近くにはすぐに隠れられるような死角などなかったし、そんな時間もなかった。
たった一瞬目を離しただけで、煙のように消えてしまっていたのである。
ジャージの生徒が浮かべていた笑みは、その後もずっとKさんの記憶にこびりついているのだという。