年越し当番

Nさんの家の近くに小さな神社がある。
地域で大事にされているお社で、年に何度か行事がある。そのひとつが年越しで、当番になった三人がお社の前で火を焚いて夜通し番をする。
Nさんもある年の年越し当番のひとりになった。夜十一時頃に社殿の前で火を焚きはじめると、日付が変わる頃に地域の人々が続々と集まってきた。
日付が変わる前と後の二度、人々が参詣を済ませると当番は彼らにお神酒を振舞う。それで人々は帰っていくわけだが、当番はそのまま夜明けまで社殿で過ごす。
時には都合によりもっと遅い時刻にお参りする人もいるというが、その年は夜明けまでもう誰も来なかったので当番だけでちびちびお神酒をすすりながら朝を待った。
雑談をしたりスマホを眺めたり、のんびり過ごしているうちにようやく明け方になってきたので、そろそろ片付けるかと外に出た。
空は明るくなりつつあったが、まだ日は昇ってきていなかった。
片付けると言っても大したものはない。焚火に使ったドラム缶を社殿の裏の納屋に片付けてしまえば、あとは持ってきたものを持ち帰るだけだ。
Nさんたちは今年もよろしくお願いしますと頭を下げあって、さあ帰るかと鳥居をくぐった。
「ちょっと」
後ろから野太い声がした。
振り返ると、鳥居のむこうに社殿を背にしてもうひとり立っている。
最初に目にしたのは胸元に垂れた長い髪だ。背がずいぶん高い。
見上げると、髭面の口元が笑っていた。鼻から上は鳥居に隠れて見えない。大きすぎる。
はっと息を呑んだときにはもう男は消えて、朝日が差し込んでいた。

 


なんとなく、それからは三人とも無言で解散した。

白いワンピース

Rさんの娘が小学生の頃のこと。小学校への通学路の途中に、一軒の空き家があった。
人が住まないまま何年も放ったらかしになっているようで、壁や屋根が一部破れているのが道から見てもわかる。どんなタイミングで更に崩れるかわかったものではない。実際、台風のあとには壁の穴が大きくなっていた。
娘が毎日通う道にそんな廃屋があるのは危なくて心配なので、同じ地区の人にもその家について何度か尋ねてみた。聞くところによると町内会でも何度か問題になった物件ではあるのだが、持ち主と全く連絡が取れないのでそのままになっているのだという。
そんなある日、Rさんの夫が仕事から帰るなり、こんなことを言った。
車で帰宅する途中、例の廃屋の前を通った。するとちょうどその廃屋の玄関から誰かが出てくる姿が、車のヘッドライトに照らされた。
白いワンピースを上品に着た老婦人だ。廃屋の持ち主か、その関係者だろうかと思った。
そこで夫はあることに気づいて首をひねった。廃屋の壁に穴がないのだ。いつの間にか修復されている。
視線を戻すと老婦人の姿はもうなかった。


――修復なんて、いつの間に? あんな廃屋を直したの?
夫から話を聞いたRさんはどうも腑に落ちないので、翌日の朝に見に行ってみた。
しかし夫の話に反して、壁も屋根も破れたままの外観だ。夫の見間違いだったか。
立ち去ろうとしたRさんだったが、少し変なものが見えた気がしてもう一度廃屋に目をやった。
壁に空いた穴の、その向こうの室内。
奥の壁に、大きな額が掛かっている。十数人が二列に並んだ集合写真のようだ。
外からだと詳しく見えないが、並んで写っている人がみんな白い服を身に着けているように見える。
夫の話を思い出した。この廃屋の玄関から出てきた老婦人は、白いワンピースを着ていたという。
写真の中の人々が着ているのはワンピースのように見えないこともない。ただ、近寄って確かめる気にはなれなかった。
今にも玄関から白いワンピース姿の老婦人が出てくるのを想像して、Rさんは足早にそこを立ち去った。


どういう経緯があったかは知らないが、それから程なくして廃屋の解体工事が始まった。
十年ほど経った今もそこは空き地だという。

金閣

看護師のRさんの話。
新人だった頃、先輩看護師と一緒に廊下を歩いていたときのことである。廊下の窓からは中庭の向こう側にもうひとつの病棟が見える。
その向こうの病棟の二階が、なぜか眩しい。窓越しに見える屋内が金色をしている。一面に金箔を貼ったようで、まるで金閣寺だと思った。
普段はもちろんそんな色ではない。金ピカの病院など見たことがない。一体何が起きているのだろうか。
足を止めて眺めていると先輩にどやされた。何してるの、早く行くよ。
いやでも、あの色おかしくないですか?
Rさんが向こうを指差すと、先輩はそちらを一瞥してからすぐまた歩きはじめた。
あれ、たまにあることだから気にしないで、ほら忙しいんだから行くよ。先輩は感動もなくそんなことを言った。
気にするなと言われても気になる。何しろ金閣寺だ。しかし先輩の言う通り、忙しいのも事実なのでそのときはそのまま通り過ぎた。
数十分後に用があって先程金色だった病棟に行ったときには、いつも通りの色に戻っていた。
あれって何か、患者さんと関係あったりするんでしょうか。ほら、患者さんが危ないときになにか起こるみたいな怪談あるじゃないですか。
後日、病棟が金色に見えた件について先輩にそう尋ねると、鼻で笑われた。
何だかわけがわからないものとそうやって関連付けたら患者さんに失礼でしょ。原因もわからないのに勝手に結びつけて解釈するのはよくないよ。
そう窘められて、それ以上は追求できなかった。先輩としてもこの件についてあまり進んで話したくはないらしい。
他の職員の中に何人も、見たことのあるという人がいた。しかし誰もその原因は知らず、特に実害がないからみんな気にしていないということらしい。
その後も年に一度か二度くらいは同様の現象に出くわした。
特に前触れとなるような出来事もなく、反対になにかの前触れとなっているようにも思えなかった。
ただ、患者さんたちからこの件に関して話が出たことは一度もなかった。職員にしか見えないということなのだろうか。
今もRさんはその病院で働いている。

雨上がり穴

日曜の午後、Nさんが四歳の息子と一緒に近所を散歩していたときのことだという。
昼過ぎまで雨が降っていたので道路にはところどころ水溜りができており、長靴を履いた息子は水溜りに踏み込んでは水しぶきを上げて喜んでいた。
これは帰る頃には泥だらけになりそうだな、と苦笑しながら息子のすぐ後ろを歩いていると、前触れなく息子の姿が視界から消えた。
はっと息を呑んで視線を落とすと、すぐ目の前の水溜りから息子の上半身が突き出ている。下半身は水面下だ。
息子本人はぼんやりした表情でこちらを見上げている。
慌ててその両脇を掴んで引き上げると、ようやく状況を理解したらしい息子は声を上げて泣きだした。
なんで道路に穴が開いているんだ、と困惑しながらNさんは水溜りに視線を戻したが、どうもおかしい。
水溜りの深さはどう見ても一、二センチ程度で、息子の下半身がはまり込むような穴があるように見えない。
Nさんは恐る恐る片脚を水溜りに入れてみたが、やはりそこには堅いアスファルトがあるだけだ。穴などない。
お前今どこに落ちたんだ、と息子の下半身をよく見ると、水溜まりに腰まで漬かったのが嘘のように乾いている。どういうことだ。
泣きべそをかく息子をなだめながら、Nさんはすぐ家に引き返したという。

相槌

深夜、Kさんは誰かの声で目を覚ました。隣で寝ている妻がボソボソと何か喋っている。
なんだ寝言か、と苦笑してまた目を閉じたが、妻の言葉はだんだんはっきりしてきた。
――そうなの。へえ、大変だったねえ。うん。うんうん。そうよねえ。
夢で誰かと話しているのか、さかんに相槌を打っている。随分はっきり喋っているものだから、妻が本当に眠っているのか疑問になったKさんはスマホで顔を照らした。
妻は目を閉じて口だけ動かしている。どうも本当に寝言のようだった。
――そう。だったらうちに来る? いいのよ遠慮しなくても。いいって。
声を聞いているうちに妻がそんなことを言った。夢で誰を招いているのだろう。
「ありがと、そうする」
そんな声が部屋の中で聞こえて、Kさんは思わず体を起こした。
妻の声ではなかった。もっと高い、少しかすれた子供の声だ。はっきり聞こえた。
誰だ、と明かりを点けてみたが部屋にはKさんと妻のほかに誰もいない。妻はもうそれ以上寝言を発さず、静かに寝息を立てていた。
翌日、妻がこんなことを言った。夢の中で小学生くらいの女の子が出てきてさ、うちの子になってくれるんだって。
Kさんはそうなんだ、女の子が欲しいの? と返事をしながら昨夜のことを思い出したが、それについては黙っていた。

 


その月のうちに妻が妊娠していることがわかり、やがて生まれてきたのは女の子だった。
あの夢の通りになったね、不思議、と妻は笑った。
Kさんはあの夜、部屋で聞こえた子供の声についてはずっと妻に話せていないという。

除夜

2008年末、除夜のことだという。
当時大学生だったKさんは、実家の自室でベッドに横になりながら漫画を読んでいた。
そのうちにうとうとしてきたが、このまま眠ればおそらく朝まで起きないだろう。
せっかくだから日付が変わるまで起きていようかな、と迷いながらもそのまま起き上がらずにいた。
そうしているうちにいよいよ眠くなってきたので、開いていた漫画本を胸の上に伏せてまぶたを閉じた。
その途端にふっと体が軽くなるような感覚に襲われた。エレベーターで下るときのような浮遊感だ。
なんだろうと思って目を開けると、視界が妙に狭い。部屋の天井が近いのだ。
どういうことかと顔を横に向けると、自分の体が天井近くにまで持ち上がっていた。横になった姿勢のままベッドの上に浮いている。
状況を理解できずに起き上がろうとしたところで、吊っていた糸が切れるように落下した。ベッドの上にまともに落ちて、衝撃でベッドの枠が割れた。
Kさんに怪我はなかったが、どういうわけか、壊れたベッドから身を起こそうとした拍子に脈絡のない光景が頭にひらめいた。
三つ年上の兄の結婚式の光景だ。
あまりに鮮やかにその光景が頭に浮かんだものだから、過去のことだったろうかと混乱したが、確かに兄はまだ独身だ。
付き合っている彼女がいるとも聞いていない。翌日に本人に尋ねたところ、彼女なんていないということだった。


ところが年が明けた2009年の2月、兄は友人から紹介された女性と付き合い始めた。そして半年の交際を経てその年のうちに結婚式を挙げた。
式の光景は大晦日にKさんの脳裏に浮かんだものとぴったり同じだったという。

川面

宅配業者のWさんの話。
担当する地域に川があり、短い橋がかかっている。配達の途中で何度もそこを通るのだが、橋の上から脇を見ると時々川べりに女の子が座っていることがあった。
ちょうどこの橋の先が交差点で、信号待ちでよくこの橋の上で停まるので、そのたびに何となく川に目を向ける癖がついた。
するとそこに時折、女の子の姿がある。
二十歳くらいの、短い髪の女の子だ。いつ見かけても同じ場所にしゃがみこんで、じっと川面を眺めている。距離があるから表情まではわからない。
見かける時間はまちまちで、午前中のこともあったし夕方のこともあった。
午前から午後まで配達して回っている身からすると、初めてその姿を見たときには暇そうで羨ましいと思った。何度も見るうちに疑問が湧いた。
一体何のために、あんなに熱心に川を眺めているのだろう。よほどあの場所が好きなのだろうか。

 

ある日の夕方、いつものように橋を通ったWさんはまた無意識に川に目を向けたが、このときはあの子の姿はなかった。
それで視線を前に戻そうとしたのだが、橋の下を誰かがくぐって歩いていくのが見えたのでそちらを見た。
あの女の子だとわかった。座っていないところを初めて見る。こちらに背を向けていつもの位置へと進んでいく。
生身の人とは思えなかった。いつもこちらに見せていた半身だけしかない。左半分だけの体でふらつきもせずに歩いている。
息を呑んでその姿を見ていると、後ろの車にクラクションを鳴らされた。いつの間にか信号が青だ。
慌てて前に進んだが、その後は橋で女の子の姿を見ることはなくなった。