みっちょん

Uさんの小学校の同級生にYちゃんという子がいた。
UさんとYちゃんとは同じグループで遊ぶ友達だったが、Yちゃんの話の中にときどき、グループにいない子が出てくる。
Yちゃんはその子のことをみっちょんと呼んでいた。同じクラスにも他のクラスにもそういう呼び名の子に心当たりはない。
みっちょんって誰? と尋ねるとYちゃんはよく知らないという。どこに住んでいるのか知らないが、よく家に来るので二人で遊んでいるのだという。Yちゃんはあまり口数が多いほうではなく、口がうまい方でもなく、みっちょんについての説明もあまり要領を得たものではなかった。だからあまり詳しく聞き出すのも骨が折れるので、Uさんを始めとしてグループの誰もがそれ以上その話を掘り下げようとはしなかった。
そんな話を初めて聞いたのが五年生のときで、六年生のときも時々Yちゃんはみっちょんの話をした。しかしグループの誰も特にみっちょんに興味を持つことはなく、Yちゃん以外にみっちょんに会ったという者もいなかった。


そうしてUさんたちは中学生になった。
すると驚いたことに、Yちゃんは小学生の頃とは打って変わって快活になった。授業でもそれ以外でもハキハキと進んで発言するようになり、何事にも積極的になった。Yちゃんは次第に友達グループどころかクラスの中心的存在にもなっていった。
そしてもうひとつの変化として、みっちょんの話をしなくなった。中学生になってから一度だけ、UさんはYちゃんにみっちょんのことを尋ねた。
最近もあの子と遊んでるの? あのみっちょんとかいう子。
Yちゃんは不思議そうな顔をして言う。誰それ? 他のクラスの子?
驚いたことにYちゃんはみっちょんのことなど全く知らないという。
知らないならいいんだけど、とUさんは誤魔化した。もしかしたら最初からみっちょんというのはYちゃんの作り話だったのではないか。
ただ、中学生になってあまりにYちゃんの性格が変わったことに少し違和感があったのも事実だった。みっちょんのことを話さなくなったことと、性格が変わったことに関係はないだろうか。


中学一年生の秋頃、Uさんは気まぐれに本棚から小学校の卒業アルバムを取り出した。何の気なしにページをめくっていて、ふと目が止まった。
Yちゃんの写真だ。Yちゃんはこんな顔をしていただろうか。
現在のYちゃんだけでなく記憶の中の小学生のYちゃんと、アルバムの中のYちゃんは全く別人のように思える。写真のYちゃんは全く見たことのない子だった。

ジョギング

健康診断のたびに運動不足を指摘されていたTさんは、三十代半ばで一念発起して毎朝ジョギングすることにした。
家から走って十五分ほどのところに霊園があり、Tさんの家のお墓もそこにあるので、そこまで行って手を合わせてから帰ってくる。別に目的地は他の場所でも良いのだが、三日坊主にならぬようご先祖様に見ていてもらうくらいのつもりだった。
そうしてジョギングを始めて三日目のこと。
荒い息を整えながらお墓に手を合わせ、さあ帰ろうと振り向いたところで三軒隣のお墓におばあさんがいた。
おばあさんは両手で墓石を抱きしめるようにしながら石の表面を撫でさすっている。さも愛おしいというような仕草だ。
大切な人が眠っているお墓なんだろうな。そう考えながらTさんはそちらに歩いていった。
通り過ぎるときにおばあさんに挨拶しようとして、声が喉まで出たところで気がついた。
おばあさんの胸から下がない。
両腕と首だけが墓石から生えている。
あっと息を呑んだTさんは目を合わせないように下を向いて霊園を出た。


翌日以降も霊園までのジョギングは続けたが、そんなものを見たのはその日だけだったという。

叫び

真夜中のこと。
Rさんがいつものように夫と幼い娘の三人で川の字になって寝ていると、夫が突然大声を上げた。


ああああああああああああ!!


横になったまま目を見開いて、ひどく怯えた様子で叫ぶ。その声で目を覚ましたRさんが宥めようとしたが、一体何がそんなに怖いのか、Rさんの言葉が届いた様子もなく、天井に向けて大声で悲鳴を上げ続ける。
体を動かさずにじっと上を見上げたまま叫んでいるのも尋常ではない。何かに怯える人は逃げようとか隠れようとか何かしら動くはずだろう。どうにもまともな様子には見えない。
Rさんの方もすっかり狼狽えて、病院に連れて行ったほうがいいだろうか、救急車を呼ぶべきだろうか、と迷っているところで、ふっと声が止まった。
夫はといえば穏やかな寝息を立てて寝付いている。たった今まであんなに大声で叫んでいたのが嘘のようだ。呼吸は落ち着いているし、顔色も悪くない。
叫んでいたのは五分間くらいだった。単なる酷い寝言だったのだろうか。それにしても切り替わりが急すぎる。
何にせよ、鎮まったのならもう心配することもないのだろうか。釈然としないながらも改めて横になったRさんだったが、そこでもうひとつ気になることに思い当たった。
娘が起きなかったことだ。
あれだけ大騒ぎしたのに、娘は今も規則的な寝息を立てて眠っている。いくらなんでも鈍すぎるのではないか。子供だから眠りが深いのかもしれないが。


翌朝、Rさんは夫に昨夜のことを尋ねたが、夫は何も覚えていないという。やはり単なる寝言だったのだろうかと、Rさんはそれ以上追求しなかった。
ところがその日の深夜にも、Rさんは叫び声で飛び起きた。


わああああああ!
ああああああああ!!


今度は娘だった。前夜の夫と全く同じように、仰向けになったまま目をカッと開いて叫んでいる。
どうしたの!? 何が怖いの!?
呼びかけてみても娘は叫び続けるばかりだ。Rさんは夫を起こそうとした。
しかし夫は穏やかな顔で眠っている。いくら声をかけても、揺り動かしても目覚める気配がない。
一体なんなの……。
Rさんが途方にくれているとこれまた前夜の夫と同じように、娘は突然静かになった。
やはり翌朝には娘は夜中に叫び声を上げたことを何も覚えていなかった。


夫、娘とくれば次は私の番だろうか。Rさんは怖くなった。
寝る前に夫にも自分が夜中に叫びだしたら引っ叩いてでも起こしてほしいと頼んでおいた。
しかし拍子抜けしたことに、次の朝まではぐっすり眠れて、夜中に変わったことはなかったようだった。夫も娘も何もなかったという。
ほっとしたRさんだが、またすぐに不安になってきた。
夫も娘も自分自身が夜中に叫んでいたことを覚えていなかった。それにすぐ傍で叫び声が上がっていても全く目を覚まさなかった。もしかすると自分も同じで、本当は夜中に叫んでいるのに覚えていないのではないか。


それを確かめるために、Rさんはポータブルのレコーダーを買ってきて寝る前に部屋に置いた。寝ている間の部屋の音を録音するためだ。
これで三人の誰かが叫んでいればわかるはずだ。

翌日、Rさんは録音を再生してみた。叫び声は入っていなかった。
ところが、先に進むにつれてだんだん雑音が混じってくる。ラジオの電波が乱れているような聞こえ方をする。
しかし室内の録音に電波は関係ない。何の音だろうと聞き進めていくと、やがて何の音なのか聞き取れるようになってきた。
ざわざわと大勢の人間の話し声、足音。そんな雑多な音が混じり合っている。
これは人混みの音だ。
ひとつひとつははっきりとは聞き取れない大勢の話し声、すぐ近くや遠くを足早に行き交う靴音。
そんな音が録音が終わるまで一時間以上続いていた。新品だから、レコーダーに元から入っていたはずはない。寝ている間にこんな音が寝室でしていたというのだろうか。
気持ち悪いのでその録音データはすぐ消したという。

海天狗

釣り好きのKさんはよく海辺に釣りに行く。
よく行くポイントでは同好の士と顔を合わせることも多く、そのうちの何人かとは連絡を取り合うくらいには親しい。
あるとき釣りに行くと他に釣り人はいなかった。港の端の突堤で、いつ行っても数人は釣りをしているような人気のポイントだ。珍しいこともあるものだと思いながらも独り占めしている気持ちで釣りを始めた。
この日は釣れた。
アジ、イワシ、サバ。
いつもより明らかに釣果が多い。他に釣り人がいないからなのか、それとも他に理由があるのかはわからないが、そんなに釣れたのは初めてのことだった。クーラーボックスの魚を見ながら、今夜は刺身で一杯やろう、いやフライもいいな、などと悦に入る。
そろそろ帰ろうかと思ったあたりで、誰かがこちらにやってくるのが目に入った。男がひとり、突堤をずんずん歩いてくる。
お面を被っているのかと思ったが、近づいてくるにつれてそうではないことがわかった。顔が塗ったように真っ赤だ。天狗や鬼の面のような鮮やかな色をしている。
しかし表情は穏やかで、別に鼻が長かったり牙を剥いていたりはしない。海をまっすぐに見つめながら歩いてくる。
そして背が大きい。二メートル近くはあるのではないか。
男はKさんには目もくれず、背後を通り過ぎると突堤の先端で立ち止まった。数分間そのままじっとしていたが、また踵を返すと来た時と同じ歩調で戻っていった。そしてその背中は防風林の中で見えなくなった。
おかしな格好をしていたが特に変わった行動はしていなかったし、単なる散歩だろうか。
それからすぐにKさんはその場を引き上げた。


家に帰ってクーラーボックスを開けたKさんは仰天した。先程釣った魚が、一つ残らずグズグズに腐って悪臭を放っていた。

午後のロッカー

小学校で昼休み終了直後のこと。
授業を始めようとしたところで、席が一つ空いていることに先生が気づいた。
その席のF君は午前中の授業には出席していたし、給食のときにもいた。保健室に行ったという話も聞いていない。
誰かF君のこと知ってる人は? と聞いたが児童たちは顔を見合わせるばかりだ。
そのうちにひとりの児童が教室の後ろの掃除用具入れのロッカーを指さした。ロッカーの扉にチェック柄の布が挟まってわずかに出ている。
確かF君がそんな柄のシャツを着ていた。さてはロッカーの中に隠れていて、シャツの裾が扉に挟まっているのか。
先生がロッカーに近づいていくと、布がズルッと中に引き込まれた。すぐに先生がロッカーを開ける。
F君はいなかった。いつも通り掃除用具が詰まっているだけで、チェック柄のシャツもない。
扉以外からロッカーを出ることは不可能だ。見ていた誰もが不思議がった。


後からわかったことだが、F君は昼休み中に友達と喧嘩してグラウンドの端に隠れて泣いていただけで、ロッカーのことなど知らなかった。
扉からはみ出していたチェックの布が何だったのか、誰にもわからずじまいだった。

腐臭

深夜、Sさんがベッドに横になったところで鼻をつく臭いに気がつき、反射的に体を起こした。
腐った魚のような嫌な臭いだ。
寝室にそんな臭いのするようなものは置かない。部屋の外から入ってくるのかと思ったが、窓から顔を出してもそんな臭いはしないし、家の中でも臭うのは寝室だけだ。
臭いの元はなんだろうと寝室を嗅ぎ回ってみたものの、それらしきものは見当たらない。ただ、ベッドの周りの臭いが一番きつい。
消臭剤と香水を寝室じゅうに撒いたがまだ臭いが消えないので、ベッドで寝るのは諦めた。
リビングのソファーに横になり、目を閉じながらぼやいた。一体何の臭いなんだ、まったく……。
「これはもうだめだな」
声がした。
家には他に誰もいない。しかし声はすぐ側で聞こえた。明かりを点けたがやはり誰の姿もない。空耳だったことにして無理に寝た。


翌朝、寝室に入ると香水のきつい臭いだけがあり、腐ったような臭いは消えていた。
リビングで聞こえた声といい、どういうことなんだろうと不審に思っていると電話があった。
実家の母からで、母の弟である叔父さんが昨夜亡くなったという。夜釣りに出掛けて川に転落したという話だった。
それを聞いてSさんははっとした。昨夜の嫌な臭いは川縁の臭いだったのだろうか。
あの臭いがした時刻と叔父さんが溺れた時刻が同じだったかどうかは、確認する気になれなかったという。

赤光

深夜、Fさんがベッドに横になってなんとなく寝返りをうったところで、赤い光が部屋に差した。まぶたを閉じていてもそんな感じがしたのだ。
薄目を開けると部屋の反対側に小さな赤い光が横一直線に並んでいる。数えたら八個あった。何かの機械のランプが点いているようだ。
しかしそんな光を出すような機械に心当たりがない。一体何が光っているんだろう。
気になってベッドの脇のスタンドライトを点けたが、同時に赤い光は見えなくなった。
部屋を見回してみてもあんなふうに光りそうなものはやはりない。
特に異常があるようでもないし、戸締まりもしっかりしている。少し気にはなるものの、その夜はまたすぐ寝た。


数日後、仕事帰りに車を運転していたFさんは、また横一直線に並んだ赤い光を目撃した。
といっても今度は何が光っているのかよくわかった。前の車のリアガラスの内側にある、ブレーキランプだ。
車のブレーキランプなど他にいくらでも目に入ってくる。しかしFさんにはなぜか、前の車のランプと数日前に部屋で見た赤い光が全く同じものに思えて仕方がない。
何かあるのかもしれない。どうにも嫌な感じがした。
とりあえず前の車から一旦距離を取ろうと、Fさんは道沿いのコンビニに寄り道し、ゆっくり店内を回ってから飲み物を買って出てきた。
一呼吸してから道路に戻り、少し進んだところで急に渋滞に突き当たった。普段はそこまで混まない道なのに、このときは二百メートルほど先の交差点まで二十分近くかかってしまった。
渋滞の原因は交通事故らしく、二台の車がフロントを酷く歪ませた状態で交差点の中ほどに停まっていた。
それを見てFさんはああそうかといたく納得したという。
事故車の片方は先程すぐ前を走っていた、あのブレーキランプの車だった。