二階の廊下

Mさんが経営しているアパートの住民から苦情が出た。
深夜に廊下を歩き回る音がうるさい。夜中に時折、二階の廊下を誰かが行ったり来たりしており、その足音や荒い息遣いが耳について眠れなくなるという。
どんな人が歩いているんですか、このアパートの人ですか、そう尋ねると住民は首を横に振った。その姿を見たことはないという。
ドアスコープから外を覗いても姿が見えない。直接文句を言ってやろうとしたこともあったが、ドアを開けると廊下にはやはり誰もいない。
他の入居者たちにも聞き込みしてみると、同じ二階の住民だけはあと二人ほど同じ体験をしていることがわかった。
防犯カメラの映像を確認してみたが、それらしき姿が映っていたことは一度もなかった。
不審者ならば警察に通報しようと考えたMさんだが、どうも話を聞く限り生身の人間とも思えない。
しかし自分で確かめてみなくては何とも言えない。そこで、Mさんは次に足音がしたら電話で知らせるように住民に伝えておいた。
そして半月ほど後の深夜一時前、電話がかかってきた。今まさに足音がしているという。
寝ていたところを起こされたMさんだったが、急いで自宅を出てアパートに向かった。
階段を上がると二階の廊下が見渡せる。誰もいない。
ザッザッザッザッ。
聞こえる。
ぜぇ、はぁ、はぁ、はぁ。
ザッザッ、ザッザッ。
話の通り、足音と荒い息遣い。姿はないのに音だけが近づいたり遠ざかったりする。コンクリートの床の上を、硬い靴で歩いている。そんな足音だ。
少し足を引きずるような歩き方をしているのが音だけでわかる。
苦しそうな呼吸とあわせると、疲労困憊しながらも必死になって足を動かす姿が目に浮かぶようだ。
悪戯でどこかのスピーカーから足音を流しているのではないかとも疑っていたが、明らかに音が移動している。
近づいたらどうなる。そう思ったMさんは階段から廊下に足を踏み出した。
途端に足音が聞こえなくなった。
シンと静まり返った廊下で、Mさんは思った。こりゃあ本物だ。警察に通報したところでどうしようもない。
翌日、Mさんはスーパーで塩を買ってきてアパートの廊下に撒いた。念を入れて、二階だけでなく他の階にも。三キロ買った塩を全部使った。
それが効いたのかどうか、それ以来足音の苦情は出なくなったという。
いやあやっぱりね、塩って効くんですねえ。Mさんはそう言って笑った。