山の穴

Fさんの通っていた小学校には毎年秋に歩行会というイベントがあった。
学校から目的地まで徒歩で向かい、目的地で弁当を食べてまた帰ってくるというだけの行事だが、遠足のようなものなので児童たちはみんな喜んで参加していた。
行き先は学年ごとに違うのだが、Fさんが五年生のときは隣町にある小さい山が目的地だった。
学校から一時間ほど歩いて山の遊歩道の入り口までたどり着き、そこから山の上の公園を目指して三十分ほど登る。
四人ずつの班でかたまって歩いていたが、しばらく歩いていると班ごとの進み具合に違いが出てくる。
Fさんの班はかなり後ろの方になった。しかし最後尾には引率の先生もいるし、昼までには公園に着けそうなのでFさんも特に急いだりはしなかった。
そんなとき班のメンバーのひとり、Mちゃんが前方を指差して声を上げた。あそこ穴あいとる!
指の先には確かに、地面に空いた直径二メートルほどの穴がある。遊歩道のすぐ脇だ。地面が陥没したのだろうか、掘ったというよりそこだけ円形に地面がなくなっているように見える。
好奇心旺盛なMちゃんは面白そうなものを見つけたと思ったのか、嬉しそうに穴に駆け寄った。すると勢い余って穴の縁で体勢を崩し、あっという間に転落した。
Mちゃんが落ちた! Fさんたちは慌てて穴を覗き込んだが、思ったより穴は深く、お互い手を伸ばしてもMちゃんに届かない。
穴の側面はほとんど垂直で、自力で登って出られそうにもない。下ろすロープなどあるはずもない。
怪我はなさそうだが、Mちゃんはうろたえて泣きだした。
先生に助けを求めようと判断したFさんたちは、ひとりをその場に残し、ひとりは先頭にいる先生、Fさんは最後尾にいる先生に知らせに向かうことにした。
走って道を下ったFさんだが、不可解なことに誰にもすれ違わない。Fさんの班が最後尾ではなかったはずだ。遊歩道は公園まで一本道だから、道が違うはずもない。どういうことだろう、と思っているうちに遊歩道の入り口まで戻ってきてしまった。
混乱したFさんは荒い息のまま、また公園目指して走り出した。とにかく先生を呼ばなければ。
リュックを背負ったまま登り坂を走るのは辛かった。苦しくなってとうとう歩調を緩めたりもしたが、Mちゃんが穴に落ちたままだと思うとのんびりしてなどいられない。なんとか早足で登り続けた。
しかし今度は行けども行けども穴のところまで着かない。あの穴はこんなに上の方だったか?
そして誰にも会わず、穴も見つからないうちになんと公園までやってきてしまった。
公園ではクラスのみんなが和気あいあいと昼食の支度にビニールシートを広げたり弁当を出したりしている。
先生はどこだ、と見回してFさんはあっと叫んだ。Mちゃんを含めた班のみんなが既にそこに揃っているのだ。
出られたんだよかった、と安堵してFさんが近寄ると、Mちゃんは呑気な顔でお帰り、と言った。
どうやって穴から出たの、と尋ねるとMちゃんは怪訝な顔をする。穴って?
話が噛み合わない。班の他の子もきょとんとしている。
彼女たちの話では、穴など見ていないという。順調に登って公園にたどりつき、そこでFさんがトイレに行くと言って走っていったのだという。
これはFさんの体験と全く異なる。しかし実際、Fさんが一人で登ってきたときには確かに穴などなかった。
客観的にはFさんの体験を裏付ける証拠はなかった。だからFさんはそれ以上追求せずに昼食を済ませ、遊歩道を下った。
下りでもやはり穴などどこにも見つからなかった。


大人になった今でもFさんはその時のことを思い出すという。あの時自分は知らないうちによく似た別の世界に迷い込んでしまったのではないか。元いた世界ではMちゃんは穴に落ちたままだったのではないか、という考えが頭の片隅から離れないのだという。