床の間

Hさんの祖母が亡くなった。脳卒中による入院中に肺炎を起こし、容態が急変して親族が集まる間もなく息を引き取ったので、Hさんも祖母を看取ることはできなかった。
葬儀が済んで一ヶ月ほど経ったある夜、Hさんがベッドに横になると耳元で声がする。
「誰か、ねえちょっと」
祖母の声だ。
驚いて身を起こすともう聞こえない。
気のせいだろうか、と思って改めて横になる。
「いるんでしょ、誰か、ねえ」
やはり聞こえる。起き上がると聞こえなくなるのだろうか?
そのままの体勢で耳を澄ます。返事をしようかどうか迷った。本当にこれは祖母なのか。
「あのねえ、ちょっと聞いてほしいんだけど」
声は枕の下のほうから響いてくる。枕の下を手で探ってみようかと腕を持ち上げたが、変なものに触れてしまったらどうすると思い直してやめた。
仮に枕の下に普通ではない何かがあるのなら、そのまま枕に頭を預けていること自体怖いのだが、その時はそこまで考えが及ばずに祖母の声を聞き取ろうとしていた。
「うちの和室の床の間なんだけど、柱を拭くの忘れてたのよね、できたら拭いておいてくれない」
床の間の柱? 祖母が生前にとりわけ気にかけていたようには見えなかったが、何かあるのだろうか。
するとそこで、女性らしき別の声が割って入ってきた。
外国語らしく、何と言っているのか理解できない。はっきりわからないが、東南アジア方面の言語のように聞こえたという。
祖母らしき声は普通にその声に返事をしている。
「ああそうなの? それはこうしたらいいかしらねえ」
それきり声は聞こえなくなった。起きて枕を持ち上げてもシーツしか見えない。
翌日Hさんは実家に寄って床の間の柱を雑巾で拭いておいたが、その後特に変わったことはなかった。