ワラビ

三十年以上前の話。
大学生だったSさんは、連休を利用して友人たちと福島県安達太良山へ登った。
しばらくは順調な道行だったのだが、やがて辺りには濃霧が立ち込め、数メートル先の道さえ確認するのが困難なほどの有様になってしまった。
平地育ちのSさんはそれまで登山の経験がほとんどなかったので、むしろ危機感よりも「ああ、遭難するというのはこういうことなのだな」と妙に客観的な感想を抱いていた。
ともかくも同行者同士で固まりながら、道と思われるところをしばし辿っていくと、急に視界が開けた。先ほどの霧が嘘のように晴れてしまったのである。
そこは見晴らしのいいなだらかな平地で、背の低い草むらが広がっていた。後から気付いてみると登山道からも大して外れていない地点だった。
Sさんがほっと一息ついていると、友人の一人が地面を見て声をあげた。
「お、ワラビが沢山生えてるぞ!」
その周辺には至る所、他の草に交じってワラビが群生していたのである。山菜に馴染みのなかったSさんはそれが食べられるものだとは知らなかったのだが、友人たちが喜んで採り始めるのにつられて採ってみた。
ワラビは各人がめいめいに束にできるほど採れた。いい土産になったという。
帰ってから以上の経緯を知人に話したところ「それは多分、山の神様が歓迎してくれたんだな。霧が出たあたり、そうに違いない」という言葉が返ってきた。

そういうものか、とSさんは何だか感心してしまったという。