六/ ランナー

Sさんが海に夜釣りに行った。
仲間二人と一緒に船で沖へ出た。
月も明るく風も無く波も穏やかな夜だったという。
連れとは反対側の船べりに立って糸を垂らすこと二時間ほど。
ふと気付くと、水音が聞こえていた。


ぱしゃぱしゃ。


魚が跳ねているのかな、と思った。


ぱしゃぱしゃ。


音の感じからしてあまり離れていないようだ。
見えるだろうか、と思い視線を音の方に向けた。
月が明るかったので音の主は良く見えた。
しかしにわかには見たものを信じられなかった。
そこには、水面を軽やかに蹴って走ってくるマラソンランナーがいたという。
ラン二ングシューズにランニングシャツ姿の、マラソンの大会で見かけるそのままの姿のランナーが、海の上を走っている。
水面をランニングシューズが蹴るたび、ぱしゃぱしゃと音がする。
唖然とするSさんの目の前、船のすぐ脇を、Sさんには一瞥もくれずランナーは走り抜けていった。
その背中が小さくなるまで、Sさんは呆然と見送っていたが、我に返ると慌てて連れ二人に見たものを伝えた。
当然信じてもらえなかったので、ランナーが走っていった方向を指差したが、月光に照らされた海面には既に影も形も無かった。


納得がいかなかったが、仕方が無いので釣りを再開することにした。
それから一時間ほどでSさんだけ不思議なくらい釣れたという。