Dさんが中学生の頃、塾の帰り道のこと。見たいテレビ番組があったので、いつもより急いで自転車のペダルを踏んでいた。
午後八時前、皓々と照らす満月が綺麗な夜だったという。
そこへDさんのすぐ隣に並走してきたものがあった。
視線を向けるとそれはなぜかベビーカーだったので、思わず二度見してしまった。確かにベビーカーだ。
ちらりとしか見えなかったが、中にも赤ちゃんはいないようだ。ベビーカーのみ。
嘘だろ!?
誰も押していないベビーカーがひとりでに走り、Dさんの自転車を勢いよく追い抜いてゆく。
下り坂でもないのにどうやって進んでいるのか。
不思議なことはもちろんだが、それなりに一生懸命漕いでいるのに、よりにもよってベビーカーに追い越されるのは納得がいかない。
負けるかと立ち漕ぎになって、一層力を込めてペダルを踏んだものの、ベビーカーはぐんぐんと差を広げると夜の街に消えていった。
見えなくなってからふと気づいた。あれだけの速度で走っていったベビーカーが、一切音を立てていなかった。
その後何度も塾帰りにその道を通ったものの、ベビーカーに追い抜かれたのはその一度きりだったという。