郵便局の鏡

約二十年前まで、Tさんは郵便局で働いていた。
郵便局と言っても街中にある本局ではなくて、田舎の特定郵便局である。職員は局長とTさんの二人だけ。局舎も小さく、狭かった。カウンターと向かい側の壁の間は二メートルも離れていなかった。
その狭い待合室の壁には一枚の大きな鏡が掛けてあった。長椅子が壁際に置いてあるので、客が椅子に座ると鏡に背を向ける形になる。
客が覗くために掛けてあったのだろうが、位置の悪さからか、客のほうはほとんどこの鏡を顧みることはなかった。むしろカウンターの内側にいるTさんの方が、接客時にはいつも鏡に向かい合う形になっていた。
ある時、Tさんはこの鏡についておかしなことに気が付いた。時々、客の姿が鏡に映っていないのである。郵便局のカウンターやTさんの姿は確かに映っているのに、Tさんと鏡の間に立っている人物の姿が全く映らない。
初めてこのことに気が付いた時は流石にTさんも驚いた。見間違いかと思ったが、よく見直してみてもやはり映っていない。客の方に何かあるのではとも考えたが、よく来る近所の住人で、特にいつもと変わった様子はない。ともかく接客中なので、その場は何とか平静を保ってやり過ごした。
それ以来、Tさんは密かにこの鏡を気にするようになった。局長にも、もちろん客にもこのことは言わず、黙って観察を続けた。不気味なことは不気味だったが、それよりも不可解なことに対する興味の方が先に立ったという。
注意して見ていると、やはり鏡に映らない人がいた。客の全員が映らないのではなく、時々映らない人がいる。更に気付いたことには、同じ人でも日によって映ったり映らなかったりすることがあった。どういう法則があるのか、そもそも何らかの法則性があるのか、ということまではTさんにもわからなかったという。
この郵便局は今から十年ほど前に利用客の少なさなどの理由から閉鎖され、それを期にTさんも転職したが、それまでの間にTさん自身が鏡に映らなかったことだけはなかったという。結局のところ局長とはこのことについて一度も話さなかったので、局長が鏡について何か知っていたかどうか、今ではわからない。