仏間の写真

東京で勤めていた会社が倒産して職を失ったTさんは富山の実家に戻った。
地元で就職先が見つかるまでは実家に居候することにしたのだが、高校生の頃までTさんが使っていた部屋はもう物置にされていた。
仕方がないのでTさんは仏間に寝起きすることにした。
仏間の畳に布団を敷いて横になると、欄間に掲げられた写真の額が視界に入る。
曾祖父母と祖父母、そして若くして亡くなった大叔母の顔写真だ。
ある朝、Tさんが布団から起き上がるとなぜかこれらの額が欄間から降ろされて壁に立てかけて並んでいる。
両親に尋ねてみてもそんなことはしていないという。確かに、寝ている周りで額を下ろす作業をすればTさんも目を覚ましそうなものだが、全く気が付かなかった。
むしろ両親からはTさんがやったものと思われて、元に戻しておけよと言われる始末だ。
渋々Tさんは額を元通りに欄間に掛けておいたが、その数日後にも同じことが起きた。
やはり朝になると額が布団の脇に立てかけられている。
なんだか遺影から急き立てられているような気がしたTさんは、気長にやろうとしていた就職活動に本気で取り組むことにした。
それが伝わったのか、再就職が決まるまでの間、額が欄間から下りていることは二度となかった。

親子

前夜から雪が降り続く午後のこと。
当時高校生だったKさんが帰宅途中、傘を差したお母さんと小学生の女の子が並んで前方を歩いていた。
楽しそうに言葉を交わすその背中を眺めながら歩いていたKさんだったが、そのお母さんの肩越しにもう一つ顔が覗いた。
肩の向こうから幼い男の子がこちらを見てにっこり笑いかけてくる。無邪気な笑顔にKさんも思わず顔をほころばせた。
すぐに男の子の顔はお母さんの頭に隠れて見えなくなったが、そこでふと疑問が湧いた。
――あの男の子、お母さんに抱っこされてるのかと思ったけど、お母さんは両手がふさがってるな。どうやってるんだ?
お母さんは左手で傘を持ち、右手に手提げ袋をぶら下げている。小さい子供を抱っこできる様子ではない。
ならば抱っこ紐を使って胴体に男の子をくくりつけているのか。
しかしその数分後、赤信号でKさんがその親子の横に並んだ時に横目で見てみると、お母さんは誰も抱っこなどしていない。
あの男の子はどこに消えた?
そもそもあれは誰だったのか?
背筋が冷たくなったのは雪のせいだけではなかった。
Kさんはそれ以上その親子を見ないようにして足早に立ち去ったという。

夜中のベル

Fさんの奥さんがある時こんなことを言った。
最近、夜中に二階から自転車のベルが聞こえるの。
夫婦の二人暮らしで、寝室は一階にあるから夜には二階に誰もいない。
二階には就職して家を出た娘が以前使っていた部屋と、物置くらいしかない。もちろん自転車など置いてはいない。
Fさんはその音を聞いていないが、目覚まし時計が何かの拍子に鳴っているのだろうか。
その夜、Fさんは寝ているところを奥さんに起こされた。
またベルが鳴ってるの。絶対おかしいわよ。
目をこすりながらFさんが階段の下まで行ってみると、確かに上からチリリンチリリンと、自転車のベルのような音が何度も聞こえてくる。
気になるなら自分で見てくればいいのに、と奥さんに向かってぼやきながら二人で階段を上がっていった。
どうやら音は娘が使っていた部屋から聞こえるようだ。
ドアを開けて仰天した。
畳の上に一台の自転車があり、そのベルがひとりでにチリンチリンと鳴っている。
なんでだ、と呟きながらFさんが部屋に足を踏み入れようとすると、奥さんに腕を掴まれた。
なんか動いてる……。
言われて部屋の中に目を凝らすと、自転車の周りを白い煙のようなものが人の形をして、うろうろ歩き回っている。
部屋の明かりを点けようとドア脇のスイッチを押したが、全く反応しない。
気味が悪いのでそのままドアを閉めると、同時にベルの音が止んだ。


すぐに神社に頼んでお祓いをしてもらうと、それ以降ベルの音はしなくなったという。

ブチ

Nさんはブチという名前の猫を飼っている。
まだ子猫の時に車に轢かれ、道端で血まみれのところをNさんが見つけ、急いで動物病院に連れて行って手術してもらった。
処置が間に合ったおかげで一命を取り留めたが、顎の骨が砕けて半分なくなってしまった。そのため回復してからも硬いものは食べられないので、そのまま引き取ったNさんは毎日ミルクや流動食を与えている。
この怪我の影響なのかそれとも元々なのかは不明だが、ブチは神経質で敏感なところがあり、何かというとすぐに背中の毛を逆立てて警戒する素振りを見せる。
ある日の夜も、Nさんの傍らでブチが突然毛を逆立てた。脚を踏ん張り、尻尾をぴんと立てて威嚇しているようにも見える。
しかしブチが見ている先には壁があるだけで、特に変わったものはない。
外から人に聞こえないくらいの何かの音が聞こえているのだろうか。
とりあえずブチをなだめようとNさんが手を伸ばしたとき、壁から音もなく丸いものが出てきた。
ブチが飛びついたものの届かず、それは勢いよく部屋を横切り、反対側の壁に当たって消えた。
Nさんの横をすり抜ける一瞬に見た限りでは、真っ黒な髪の毛か何かのかたまりに見えたという。
その後も何度か、ブチが毛を逆立てた時に変なことがあったのだとNさんは語った。

スマホカメラ

終電に乗った人の話。
仕事ですっかり遅くなり、駅まで走って終電にギリギリ間に合った。
座席に腰を下ろすと、SNSでも見ようかとスマホを取り出した。
するとなぜかカメラが起動した状態になっており、指が画面に触れた拍子にカシャッと撮影音が鳴った。
しかしいつも画面をロックしてある。
鞄の中で何かに触れたとしてもカメラが起動するのはおかしいな、と怪訝に思いながらも撮れてしまった写真を消そうとした。
変なものが写っている。
ブレてはいるものの、スカートの裾から突き出した二本の脚がはっきりと見える。女性の脚だ。
撮った時に目の前に誰かが立っていたかのような写真だが、終電に乗客は疎らで、同じ車両に他の誰かの姿はない。
今でもすぐ傍に見えない誰かが立っているように思えて、すぐに写真を消した。窓を見て自分の傍に誰かが映っていたら怖いので、視線も上げられない。
下を向いたまま、他の乗客がいる車両まで移動したが、電車を下りるまで窓もスマホも見る勇気はなかった。

浴衣の木

サーフィンが趣味のKさんが友人と一緒に鹿島灘に波乗りに行った夜のこと。
三人で旅館の一部屋に泊まったのだが、Kさんは夜中にふと目が覚めたという。
何やら甲高くて耳障りな音が聞こえる。友人二人のどちらかが歯ぎしりをしているらしい。
しょうがないやつだな、とそちらに目をやると、何か変なものが見えた。
隣の布団で寝ている友人の向こうに、浴衣を着た女らしき姿が正座している。
はっとして目を凝らすと、どうも単なる女のようではない。
浴衣を着た体つきは確かに女性らしく見える。
しかし袖や襟からは木の枝のように細く曲がりくねって枝分かれしたものがぐねぐねと伸びている。手首や頭がない。
趣味の悪い置物かとも思ったが、木の枝のような腕が友人の身体の上をゆっくりと撫で回すように前後している。その動きに合わせるように、友人の歯ぎしりの音が響く。
これは只事じゃないな、と思ったKさんは少し迷った挙句に覚悟を決めて、大声を上げて勢いよく立ち上がった。
すぐに部屋の隅に駆けて灯りのスイッチを入れた。ぱっと明るくなった室内に、もうあの木の枝のような何かの姿はなかった。
友人たちは熟睡していたようで、Kさんの声に目を覚ましたものの何が起きたかは全く理解できていなかったという。

底なし沼

二十年近く前のこと、Oさんがまだ小学生になる前のことだという。
平日の午後、お母さんが居間で洗濯物を畳んでいると玄関の方から激しい泣き声が響いた。
はっとしてそちらに向かうと、玄関から入ってすぐの廊下の床にOさんがしゃがんで泣いている。
だがよく見てみるとしゃがんでいるのではなく、Oさんの腰から下が床に埋まっていた。
どういうこと?
床は木の板張りだが、割れたり穴が空いているような様子はない。不可解なことに、Oさんの上半身だけが床から生えている状態だ。
一体どうしたの、何したらこんなふうになるの、と問いかけながら掴んで引っ張り上げようとしたが、それよりも早くOさんの体は見る見るうちに頭まで沈んで声も聞こえなくなった。まるで底なし沼だ。
すっかり取り乱したお母さんはOさんが沈んだあたりの床板を叩きながら名前を呼んだ。
返事はない。
そこへ玄関がガラッと開いて、おばあさんと手をつないだOさんがニコニコしながら帰ってきた。
泣きながら駆け寄ったお母さんに、おばあさんが怪訝な顔をした。
お母さんはたった今の出来事を話したが、おばあさんはそんなはずはないという。
幼稚園から今連れて帰ってきたところなのだから、Oさんが家にいたはずがないというのがおばあさんの話だった。
だいたい床に人が沈んでいくはずがない。昼寝して夢でもみたんだろう――おばあさんがそう決めつけるので喧嘩になり、それからしばらくお母さんとおばあさんは口を聞かなかったという。