窓の女

Mさんという女性が若い頃、今から三十年近く前の話だという。
当時Mさんは郵便局で事務の仕事をしていた。郵便局までは自転車で通っていたが、天気が悪い時にはバスを使うこともあった。
そのバス停から郵便局までの徒歩三分ほどの路地の途中に、古くて汚い三階建てのビルがあった。そのビルのこちら側の壁の二階あたりに窓があり、そこから若い女の人がこちらを向いているのがいつも見えた。
黒い髪を肩に垂らした、女性のMさんから見てもドキッとするような美人だったという。
Mさんはその道を毎日通るわけではなかったが、とにかくその道を通る時にはその女の人が必ずいて、身動きひとつせずに外をまっすぐ見つめている。
二階の窓だからこちらと視線が合うことはなかったが、そのうちにMさんはその女の人のことが気になりだした。どうしてあの人はいつも窓の外を眺めているのだろう。
Mさんがそこを通るのは決まって雨の日だ。あの人は雨の街の景色が好きなのだろうか。それにしたっていつも見ているのだからよっぽど好きなのか、それとも他の理由があるのか。
そこでMさんは、晴れた日にもあの女の人が外を眺めているのか確かめてみようという気になった。
そうして雨の降りそうにない朝にバスに乗って出勤したMさんだったが、例のビルまで来た時に思わずあっと声を上げてしまった。
女の人の姿はなかった。それどころか、そのビルのこちら側には窓がひとつもない。
Mさんが歩く路地には薄汚れたコンクリートの壁が面しているばかりで、そこには窓があった形跡すら認められなかった。
じゃあ何度も見たあの窓は、あの女の人は何だったのか。
バス停から郵便局までのほんの僅かな距離のことで、場所を間違えたはずもない。念のため見回してみたものの、他に同じようなビルなどなかった。
同じビルのはずなのに、あるはずの窓がない。壁を工事して窓を埋めてしまったにしては壁の全面が古びているし、前に窓と女の人を見てから工事が終わるほどの日数も経っていない。
まるで初めから窓など無かったようにしか見えなかった。
窓が無かったのだとしたら、そこから外を見ていたあの女の人はなんだ?
何度も見上げていた女の人の姿が急に得体の知れないものに思えてきて、Mさんは足早にその場所を離れた。
それ以来ほとんどその路地に足を踏み入れることは無かったが、郵便局を辞める前に一度だけ昼間にそこを通ったことがあった。
やはり窓は無かったという。