ミシガン湖

Hさんが高校一年生の夏休みに、アメリカに住む叔父の家に遊びに行った時のこと。
知り合いからボートを貸してもらえるから釣りに行こう、と叔父から提案されて喜んで賛成した。
早朝、まだ暗いうちから出発して、車で三十分ほど走ってミシガン湖に到着した。
船着場からボートを出し、エンジン音を響かせて穏やかな湖面を進んでいくうち、やがて夜が明けてきた。
どの方向にも岸が見えなくなったあたりでボートを停め、持ってきたサンドイッチで軽い食事を済ませてから釣りを始めた。
しばらく糸を垂らしていたものの、特に釣果のないままだんだん日が高くなってきた。
そうして午前八時を回った頃だったという。
遠くの湖面にぽつりと船影が現れた。
それまで他に船の姿は見当たらなかったので何となくそちらを見つめていると、徐々にはっきり見えてくる。
どうやらこちらに近づいてきているらしい。
それほど大きな船ではない。
Hさんが乗っているモーターボートより少し小さめのボートのようだった。
そしてそのボートの上には誰かが立っている。
遠くからではよく見えなかったが、近づいてくるにつれてその人影がこちらに背を向けているのも判ってきた。
背中しか見えないが、どうやら麦わら帽子と明るい色のシャツを着た男性のようだ。
男性はボートの上にただ突っ立っているだけで、まったく身動きしていない。
一体あの人は何をしているんだろう?
Hさんは叔父にも尋ねてみたが、叔父も首を捻った。
「釣りでも漁でもないようだし、写真を撮ってるようにも見えないな。何だあれ?」
そうしているうちにどんどんボートはこちらに近づいてくる。
もう結構近くに来ているのに、エンジン音が聞こえない。
Hさんは疑問に思った。
手で漕いでいるようにも見えないのに、どうやって進んでいるんだろう?
やがてそのボートはHさんたちから三メートルほどの距離を通過した。
すれ違いざまに、ボートの上の男性の顔がよく見えた。
人間の顔ではなかった。
何枚かの布を雑に縫い合わせた、カカシのような顔がそこにあったという。
身動きしないはずである。ただの人形だったのだ。
ボートの上には他に誰の姿もない。
棒立ちした人形を乗せたままボートは静かに目の前を横切り、またゆっくりと湖面の彼方へ消えていった。
波の静かな日だった。
エンジンを停めたHさんたちのボートが静止しているのに、人形しか乗っていないボートがなぜ動いてゆくのか。
それが今でもHさんの疑問だという。