八十四/ 同乗者

Kさんが以前、通勤にバスを使っていた時のこと。
ある日、どうしても仕事が片付かなかったので帰りが遅くなった。終発一本前のバスにはKさんのほかに二、三人しか乗客がいなかったという。
しばらくバスに揺られていると、Kさんが降りるひとつ前の停留所で若い女性が一人乗ってきたという。Kさんはその姿を見るともなしに視界に入れていたが、どうもどこかで見覚えがあるように感じた。知り合いではないが近くで何度か見たことのある人、という印象だったという。
女性はKさんの斜め後ろの席に座ったようだった。発車して、走ること十分ほど。Kさんの降りる停留所までやってきた。
Kさんは立ち上がりざま、もう一度さっきの女性の姿をはっきり見ておこうと思った。彼女が乗りこんできてから、彼女をどこで見かけたのだったかずっと気になっていたのである。
そして立ち上がって定期券を探りながら後ろを向いて、Kさんはそのまま固まってしまった。
彼女が座っていたはずの座席には、女性タレントの全身像が使われている、携帯電話会社の立看板が斜めに立てかけられているだけだったのだ。後方の席には他に誰もいない。
にっこり微笑んだその顔は確かに、先ほど乗り込んできた女性と同じものだったのである。