冷泉×歓喜仏 今日の上野

冷泉家 王朝の和歌守(うたもり)展

上野に行ってきました。今回の目的は上記の展覧会です。
この展覧会、開始以前から期待していた催しでありまして、実際観に行ってみて内容も大変満足だったのですが、しかし残念なことが一つあります。

なぜあんなにガラガラなのか。注目度がそんなに低いのか。
いや、先週始まったばかりだし、平日だからっていうのもあったと思うんですが、それにしてもちょっと客足が控えめです。阿修羅展は夏休み前の平日でも気が狂いそうなほど並んでたのに。あれは修羅道の再現とでもいうのだろうか。
なぜみな上野に殺到しないのか。阿修羅がそんなに好きか。いや阿修羅は阿修羅でいいものですが。阿修羅ファンのモデルとやらはいたのに和歌ファンの芸能人とかはいないのかしら。……いないか。
しかし今回の展覧会は前代未聞の催しでして、注目度が低いというのは勿体無いのです。東京近郊にいてこれを観ないというのは惜しい。そんなわけで少しこの「冷泉家 王朝の和歌守(うたもり)展」について紹介しようと思います。

みどころ

冷泉家鎌倉時代から続く和歌の家です。その八百年の歴史の中では和歌に関わる典籍の数々が蒐集され続けてきました。
今回出展されているのはそういった古典籍や古文書のたぐいなのですが、これらが展覧会という形で一挙に公開されるのは史上初めての試みなのです。
しかも出展される量が半端でない。その数およそ五百点とか。中古から中世にかけての貴重な資料が目白押しです。

脇役こそが命脈を保つ

貴重な資料と言っても和歌に興味ないから関係ないなー。ここまで読んでそう思っていませんか。まあ私も和歌に明るいわけじゃないんですが、それでも今回の展覧会は面白く観ることができました。
強く感じられたのは、冷泉家累代の執念です。執念といって言葉が悪ければ悲願というか。
どこからそう感じたかと言えば、私家集の数が膨大なのです。私家集というのは歌人ごとに編まれた歌集なわけですが、冷泉家にはこれが非常に多く伝わっている。なぜかといえば、勅撰和歌集を編纂する時に備えているのです。そこについて解説するにはまず冷泉家の成立から始める必要があります。


あらすじ。和歌の家である御子左家は俊成、定家、為家と三代続けて勅撰集の選者を務めた名門でしたが、鎌倉時代、為家の子の代で相続争いが持ち上がりました。
為家が六十代になってから側室の阿仏尼との間に作った子、為相を溺愛し、もともと長男の為氏に与えていた領地を取り上げて為相のものとしてしまったせいです。当然揉めましたが、訴訟の末に為相も領地を得て一家を構えることとなりました。これが冷泉家の始まりであり、同時に為氏とその弟の為教もそれぞれ二条家、京極家としてそれぞれの流れを作ったのでこれ以来御子左家は三つに分裂しています。
冷泉家はこの三家の中ではあくまで傍流であり、二条家や京極家の当主が勅撰集の選集を任される中でその役が冷泉家に回ってくることはありませんでした。しかし冷泉家はその栄誉を望まないわけでも諦めていたわけでもなかったのです。それを示すのが、膨大な量の私家集です。
私家集というのは各歌人ごとの作品を収めているわけで、歌集を編纂する時に資料となるものです。冷泉家が私家集を代々蒐集し続けてきたのは、勅撰集の選者を任命される時に備えてのことであると考えられています。中世を通じてひたすら勅撰集編纂を命じられることを切望しながら資料を集め続けるというあたり、執念を感じずにはいられません。個人の情念を逸脱して後々の人間まで動かし、ついには伝統として現代に伝わるまでの執念。
結局のところ冷泉家が勅撰集を任されることはなかったわけですが、二条家と京極家が歴史の表舞台と関わったがゆえに早く没落してしまったことに反して、冷泉家はその命脈を長く現代まで保っています。本流から外れたゆえに却って伝統を維持することができているというあたり、歴史の皮肉と言うべきでしょうか。


その他の見所としては藤原定家の直筆など。特徴的な定家様の原点を直接観ることができるのはなかなかない機会です。特に定家が十九歳から晩年まで書き続けた日記『明月記』は歴史資料としても必見。

ポタラ宮と天空の至宝 聖地チベット展

王朝の和歌守展を観た後でまだ時間があったので続けて上野の森美術館で開催中のこちらの特別展も見てきました。
こっちも実にお勧め。
チベットから遥々やってきた秘宝の数々。歓喜仏像多数。
歓喜仏が嫌いなオタクなんていません!剣鬼!喇嘛仏!


大変印象的だったのが、入場してすぐのところに展示されていた「魔女仰臥図」。恐ろしげな面相の魔女が横たわる絵なのですが、これが実はチベットの地図を表しているとのこと。
むかーしむかし、チベットを統一した吐蕃王国の王妃が唐の公主に占ってもらったところ、チベットの地下に巨大な魔女が横たわっているとの結果が出たそうな。そこで魔女の身体を押さえつけるために、チベット各地にありがたい寺院が建てられたそうな。どっとはらい
巨大な魔女の上に広がる国なんて、ちょっと中二病の古傷に響くじゃないの……。


あと法具「カパーラ」。儀式で水を清めるために使用されるものとのことですが、これがなんと徳の高い高僧の頭蓋骨を加工したものだそうな。確かに象牙色をした表面に縫合線が見える、大変パンクかつ有難い一品でございました。


王朝の和歌守展から梯子したので客層の違いも面白いところでしたが、こちらの展覧会もチベットの民俗や精神性の一端に触れることが出来るいい催しなので、時間のある方は行かれるとよろしい。チベット密教に興味のある方は勿論のこと、色彩や造形が豊かなのであまり興味のない方も意外と楽しめるかと思います。