夏のプレートまつり六十六日目


万物に神霊宿るというアニミズムの観点から考えると、プレートにも神がいて何の不思議もない。
地上の住人は自らを支え、受け止めてくれる偉大なるプレートを崇拝し、愛して已まない。
畏敬の念はプレートに神を見る。
即ち各プレートにはそれぞれ司る神が坐し、その神々を祀る社が存在することとなる。
海洋プレートとて例外ではない。絶海の孤島に建つ遺跡は大抵この手の神社の類と考えてよい。
各プレート間では神社の領地を巡ってしばしば対立が起こっており、その抗争の場となるのがプレートの境界である。
プレート間の抗争は無軌道な紛争ではなく、祭礼の形を取って厳粛に、且つ勇壮に行われる。
所謂だんじりであり、互いの神威をかけた山車を壮絶にぶつかり合わせることで勝敗を決する。
勝ったプレートが地表に残り、敗れたプレートはアセノスフェアへと沈降する。
神権をかけたぶつかり合いは壮大かつ激烈であり、その余波が地震として時に何千人何万人もの犠牲者を出す。
余りの死者の数に、かつてローマ帝国がこの信仰を邪教として禁令を出したのも頷ける話であろう。
またわが国付近においては驚くことに四枚のプレートが交錯しており、プレート間の争いは世界的にも類を見ないほどに激しくなっている。
特にユーラシアプレート派と北米プレート派は東西に日本列島を二分しており、長い抗争の歴史がある。
古くはヤマト政権と蝦夷の対立であり、応仁の乱や黒船来航もプレートが関与していたと言われる。
また一説に因れば、東西で饂飩の汁が極端に異なっているのはこの抗争により文化の断絶があったせいだともいう。