十/ 山の戒め

山国に住むYさんのおじいさんは役場の仕事でよく山に入っており、またキノコや山菜を採ることを趣味にしてもいたのでYさんが子供の頃にはよく山で体験した話を聞かせてくれた。
この話はそうやって聞かされた話のひとつである。


おじいさんが役場に勤めはじめたころ、山の炭焼き小屋の老人から山での心得をいくつか聞かされたという。
その中でおじいさんが特に気になったのが「山でなにか変わったものを見たら、それ以上進まずにすぐ引き返せ」というものだった。
山にどんな変わったものがあるというのか。
そう老人に尋ねると、「それは出てみないとわからない」という答えが返ってきた。

実際におじいさんはそれから何年か後に山中でおかしなものを見た。
初めに見たのは黄色い木だった。
雑木林の中の一本の木が上から下まで黄色一色だったという。
葉だけでなく枝から幹から根元まで鮮やかな黄色で、何か塗料を塗ってあるとも思われなかったし、第一そんな悪戯をしたというには山奥すぎる。
それを見て、老人から言われた戒めが思い出された。
成程これは変なものだと思い、その場はすぐに引き返した。
何日か後に同じ場所と思われる場所に行ってみたが、黄色い木などどこにもなく、切り株や抜いた跡なども見つからなかった。

それから数年して、また変なものを見た。
杉の木の上から、長い帯が何本も地面まで垂れ下がっている。
どう見ても和服の帯としか思われないような、模様のついた長い布が木の上から地面まで垂れ下がっているのだが、これがまた恐ろしく長い。下の端は地面に付いているのに、上の端は杉の木の上まで届いているようで、はっきりどこまでだかわからない。しかもそれがその周囲に何本も垂れ下がっているのである。
そんな長い帯は人の巻くものではない。
おじいさんは不気味に感じてその時もすぐ引き返した。

それからまたしばらくの後、やはり変わったものを見た。
木から雨が降っていたという。
空は晴れているのに、雑木林の木の数本の周りに雨粒が降り注いでいるのである。
少し離れて見てみると、どうもそのあたりの木の枝の辺りから水が噴き出して下に降り注いでいるようだった。
木漏れ日が雨粒を通って虹を作って、それが不思議に綺麗だったという。
それにしばし見とれたせいもあってか、この時はすっかり山の戒めを忘れてしまっていた。
そのままそこを通り過ぎ、しばらく行ったところで昼食にしようと腰を下ろした。
しかし荷物から弁当を取り出して開いた時、思わず弁当箱を落としそうになってしまった。
弁当の中身にびっしり、様々なカビやらキノコやらが生えていたのである。
とても食べられたものではない。
その弁当箱は前の日も使ったもので中身はその日の朝詰めたものだから、それからたった半日でそんな有様になる筈がなかった。
そこではっとして戒めを思い出し、空腹のまますぐに帰った。
帰り道には雨は降っていなかったという。


おじいさんはYさんに言った。
「だから山では変なものを見たらすぐに帰るんだよ」