霧の朝

高校のボート部での話。
六月のある朝、部員たちはいつものように朝練に励んでいた。
その地域ではその季節になると朝方に霧が出ることがあり、その日も川岸の練習場には濃い霧が立ち込めていて、三百メートルほど先の対岸も見えなかったという。
練習しているうちに日が高くなって気温も上がれば霧も晴れるだろう、という判断からそういう状況でもいつも通りボートに乗って練習していた。
しかしその日は待てども霧が薄くなる様子がない。
濃い霧が出たままでは見通しが効かず危ないのでスピードを出して漕ぐこともままならない。それどころか、ほんの少し漕ぎ出しただけで川岸に立つ顧問の先生の姿さえ見えなくなるような有様だった。
これでは練習にならんな、とボートの上で愚痴っていると、ふっと周囲が少し翳ったように思えた。
見回して驚いた。
いつの間に現れたのか、見上げるように巨大な何かが霧を透かして立っていた。ほんの数メートル先である。
それは、川面をゆっくりと滑るように近づいてきた。濃い霧の中ではっきりしなかったが、三階建ての校舎と同じくらいの高さはあっただろうか。後から冷静に考えれば流石にそこまでの大きさはなかったかもしれない、ともいうが、少なくとも見上げるほどの大きさではあったという。
近くに来てもそれが何なのかよくわからない。灰色で、滑らかな表面の円柱形をしているようだった。幅三メートルほどはあったという。
水面の下はどうなっているか見えないが、波に洗われている水面付近は水が染みて黒ずんで見えた。
生き物には見えないものの、人工物だとしてもそれが何なのか見当がつかない。
ぽかんと見上げる部員たちの乗ったボートのすぐそばを、それは音も立てずに移動して霧の向こうに去っていった。
誰も、あれを追いかけようとは言い出さなかった。
それからほんの数分ほどで、嘘のように霧は晴れていった。その時にはもう川の上流にも下流にも巨大な何かの姿は見当たらなかったし、顧問の先生に尋ねてもそんなものは見なかったという。