浜の老人

サーフィンが趣味のWさんは主に鉾田の海に乗りに行く。
その日も午後から海に行って一人でしばらく波に乗っていたところ、急に頬に感じる風が冷たくなった。
寒冷前線が通ったな、と思った。そうすると短時間で天気が変わる。風が強くなり、にわか雨が降る。
風が出ればうねりも大きくなる。サーフィンには悪くない条件だ。
危険なほど波が高くなる前に上がるつもりで、それからしばらく様子を見ながら次第に高くなる波に乗った。
波に乗りながら浜に目を向けると、いつの間にか人がひとり座り込んでいた。砂に膝をついて両腕を前に突き出している。
顔はわからないが老人のように見えた。
老人はそのまま上体を海に向けてゆっくり伏せた。祈りを捧げているような格好だ。
あんなところで何をしているのだろうか。Wさんはそこでそんなことをしている人を初めて見た。
しかし波乗りには関係ないので気にせずにサーフィンを続けていると、不意にボードが重くなった。
ガクンと体が前につんのめりそうになったところを何とか耐えて足元を見ると、ボードに波が絡みついている。
まるで水がゲル状になったように、ボードの上に被さった波がそのまま流れ落ちずに筋状に巻き付いている。
どういうことだ、と手を伸ばして水に触ろうとしたところで大きい波に煽られ、転覆したボードから振り落とされた。
落ちた海中は妙に暗かった。曇っているとはいえまだ日中なのに、夜の海のように周りが真っ暗で、一瞬上下の感覚もなくなった。
どこからか太鼓のような音が断続的に水中に響いている。いや、花火が炸裂する音だろうか。
これは変だ。とにかく水から出なければ。
がむしゃらに手を伸ばすとボードに触れたので、必死に掴んで水面に顔を出すともう波は絡みついていなかった。
すぐに浜に上がるともうあの老人は姿を消していた。
Wさんはその夜から高熱を出して三日間寝込んだ。熱に浮かされながら、なぜか浜の老人の姿が繰り返し思い浮かんで仕方なかったという。