ロク

Tさんはロクという名の犬を飼っている。
一日二回、朝と夜にロクを散歩につれていくのが日課なのだが、散歩中のロクには困った癖がある。
暗い中で走ってくる自動車を見ると、吠えながら勢いよく走り出そうとするのである。どれだけ叱っても、一向にやめない。
明るい時間帯に自動車を見てもそんなことはしない。朝の散歩中はすぐ脇を何台自動車が通り過ぎても、知らん顔で歩いている。
家にいるときには、車が来ようが人が来ようが猫が来ようが吠えたりしない。普段はおとなしい犬なのである。
ところが夜の散歩中に一台でも車がやってくると、リードを力一杯引っ張りながら、狂ったように車に向かって吠える。
どうもライトを点けている車を見ると様子がおかしくなるようだ。原因はわからない。
かかりつけの獣医に相談したものの、はっきりとはわからないが、ロクが幼い頃の体験に原因があるのかもしれないということだった。
しかしロクが子犬の頃から飼っているTさんには、車のライトに過剰に反応するような原因に心当たりがない。原因がわかったところで解決できるとも限らないのだが。
とりあえず、夜の散歩ではできるだけ車が少ない道を選んで通ることにしていた。
そうしてある日の夜、いつも通りに散歩をしていたときのこと。
前方に二つ並んだライトがこちらに向かってくるのが見えた。
Tさんはいつものように、ロクが吠え始める前からリードを手繰り寄せ、ロクの背中を撫でて少しでも落ち着かせようとした。
しかし例によってロクはリードを引っ張りながら吠える。Tさんは溜息をつきながらリードを握る手に力を込め、ロクが飛び出さないように耐える。
そうしながらもTさんは、何だかちょっといつもと違うような感覚があった。しかし何が違うのかがわからないまま、とにかくロクを引き寄せ続ける。
車はそのまま走ってきて、吠えるロクの前でふっとライトを消した。
あれっ?
視線を上げたTさんだったが、走り去る車の姿がない。もちろんその場に停まったわけでもない。
眼の前で車が一台、かき消すようにいなくなってしまった。
そういえば。
吠えるロクの背中を撫でながら抱いていた違和感の正体にそこで思い当たった。
エンジン音やタイヤが路面に接する音など、車の走行音が聞こえていなかったのだ。目に見えていたものも、車そのものではなく二つ並んだ光だけ。
最初からあれは車ではなく、光だけが並んでこちらに進んできていただけだったのか。
車でないならばあの光は何だったのか。
静まり返った夜の道を、Tさんはロクを急かしながら帰った。


ロクは今でも夜の散歩中は車に向かって吠えているという。