蛙湧き

カエルの鳴き声が聞こえる季節になると毎年思い出すんですよ、とUさんは語った。
高校生の頃茨城に住んでいたUさんは当時自転車で遠出するのが趣味だった。高校入学のお祝いにロードバイクを買ってもらったので、放課後や休日には時間の許す限りどこまでも出かけた。
そして高校二年の五月、大型連休。Uさんは栃木に暮らす祖母の家まで自転車で行き来する計画を立てた。休憩を挟みながらでも半日で到着できる距離なので、祖母の家で一泊して帰ってくる予定だ。
往路は天気も体調もよく、調べておいたルートを順調に辿って、何事もなく祖母の家に到着した。祖母は笑顔で迎えてくれて、その夜は温かい布団でゆっくり休むことができた。
翌日、午前中に出発したUさんは、思いつきで少しルートを変えようと考えた。天気は薄曇りで風も穏やか、雨の予報もない。少し遠回りして行ったことのない道に行ってみたくなったのである。
地図を見ながらしばし検討した結果、南寄りのルートを選ぶことにした。遠回りになる分、起伏が少なそうでそれほど遅くならずに帰宅できるのではないかと考えた。実際、そのルートだと急な勾配がそれほど多くなく、往路より平坦な道路が長めで走りやすかった。
そうやって気分良く走り、田んぼの間に続く幹線道路にさしかかった。
稲を植えたばかりの田んぼには水が張られていて、その上を渡る風が涼しい。あちらこちらからカエルの声が響いている。のどかな田舎道の風景だ。
連休中だというのに車もまばらにしか走っていない。歩いている人もいない。農家は四月中に田植えを済ませてしまって、連休中は遊びに出かけてしまうという話も聞いていた。だから人がいないことには特に疑問を持たず、そのまま進んでいった。
すると気まぐれに横に視線を向けたところで、田んぼの間のあぜ道に人が立っているのが見えた。上も下も白い服を着ている。
田んぼの縁で、一人で手を叩いている。手を叩く音は聞こえないが、何度も拍手をするように大きく手を動かしている。
その人が何をしているのか気になったUさんは、その場で自転車を停めてその動きを眺めていた。
すると白い人の向こう側にある田んぼから、別の人たちが道にぞろぞろ上がってきた。向こう側の田んぼに伏せていて、畔の段差に隠れて見えなかったのだろうか。
しかしどうして田んぼに伏せたりする必要があるのか。田植えが終わって苗が並んでいる田んぼに。二百メートルくらいは離れているから細部はよく見えなかったが、どこにでもいそうなおじさんやおばさんに見えた。
田んぼから上がってきた人たちは五人ほどで、立ち上がることなく、四つん這いであぜ道に上がると、その体勢のまま白い人の足元に集まった。
様子が変だな、と思いながらUさんが眺めていると、彼らはもっと変な動きを見せた。四つん這いのまま、ぴょんぴょんと跳ね回ったのだ。
その動きがあまりにカエルそのもので、眺めていたUさんは背中に嫌な汗が吹き出すのがわかった。
明らかに変だ。あんなもの、これ以上見ていてはいけない。
Uさんは慌ててペダルを踏むと、その場から一散に逃げ出した。三十分ほど走り続けてからようやく、後ろを振り返った。追いかけられたりはしていなかった。


半年ほど経ってからUさんはもう一度同じあたりに行ってみたが、稲刈り後の寒々しい田んぼが広がっているばかりで、変わったことは何もなかったという。