恩返し

Fさんが高校生だったある日、同じクラスの友人がこんなことを言い出した。
最近さあ、橋の下に女の子が集まってるんだよね。あんなところで何してるんかな。
彼の話では、通学路の途中にある橋の下に、小学生くらいの女の子が数人集まってなにかしているところを時々見かけるのだという。
その橋というのはFさんも毎日通っている。橋の下には河川敷があるから子供が遊び場にすることもあるだろう。
しかしFさんは通学途中でそれらしき子供たちの姿を橋の下で見た覚えがなかった。もっとも、橋の下など意識して見ていなかったので気づいていなかっただけかもしれない。
まああそこなら子供が遊んでても普通でしょ、とFさんが答えると、なんかそういう感じじゃないんだよなと友人は言う。
女の子たちは笑ったり楽しんでいるような様子はなく、橋の下に車座になってただじっとしている。友人もただ通りすがりに見かけているだけで、彼女たちのことをじっと観察しているわけではないものの、その様子は遊んでいるというよりは何か深刻な話し合いをしているような雰囲気だったという。
更にもうひとつ不可解なのは、その子たちがいる辺りから何か音が聞こえてくるのだという。金属が擦れるような、あまり聞かない音が橋の下から響いてくる。それはその女の子たちがいるときだけ聞こえる。ところが女の子たちはじっと動かないので、何が鳴っているのかはよくわからない。
この話を聞いてからは、Fさんも朝夕そこを通るとき橋の下に目を向けるようになったが、友人が言うような女の子たちの姿を見ることはなかった。


そして半年近く経ったある雨の日の夕方、偶々Fさんは一人で家に帰る途中、例の橋に差し掛かった。
すると雨粒が傘を叩く音や行き交う車が水飛沫を立てる音に交じって、何か聞き慣れない音が聞こえてくる。
はじめFさんはそれを太鼓の音かと思ったという。低い音が断続的に一定の調子で響いている。
しかし歩いているうちに太鼓とは別の音に聞こえてきた。一定の調子で続いているが、何か硬いものを勢いよく擦り合わせているような、耳障りな音だ。
どこか近くの自動車工場かなにかで作業している音だろうか。そうも思ったが、音は街の方ではなく、橋の方から聞こえる。
そこでFさんはようやく友人の話を思い出した。橋の下から金属が擦れるような音が。女の子たちが。
はっとして橋の下を見るものの、そこには人の姿はない。ただ、何か白いものが散らばっている。
気になったFさんが河川敷に下りていくと、橋の上で聞こえていたあの音がふっと止んだ。何の音だったんだろうと思いながら橋の下に向かうと、そこに散らばっていたのはノートを破り取った紙で、十枚くらいある。
鉛筆で何かがびっしり書かれている。一枚を拾い上げて読んでみた。
「恩返し ありがとう 最高 恩返し ありがとう ありがとう 恩返し 恩返し 恩返し 恩返し」
三つの単語が几帳面に整った字でランダムに繰り返されている。落ちている紙はすべて、表も裏も同じ言葉で埋め尽くされているようだった。文章にはなっていない。
書き取りの練習をしたようにも見えるが、それにしては整いすぎている上に数が多い。練習というよりは呪文かなにかのようだ。
友人が見たという女の子たちが書いたものか、それとも別の誰かによるものかはわからない。ただ、整い方からして子供の字ではなさそうだ。
何だこれ、と紙をその場に放り出し、帰ろうとしたFさんが振り向くと、堤防の上を子どもたちが歩いているのが視界に入った。
七、八人くらいの女の子たちだ。小学生くらいか。こちらに向かって一列に並んで歩いている。
しかし様子が変だった。ひっきりなしに雨が降っているのに、誰一人傘を差していない。レインコートを着ているわけでもない。
雨に濡れながら、整然と並んで歩いている。どうも普通ではない。
こっちに来る。
来たらどうなる?
あの妙な音、意味不明な紙、こっちに向かってくる女の子。ひとつひとつは大したことではないが、重なってくると何か窺い知れない不気味さが感じられてくる。
急に不安になったFさんは、橋の反対側に駆け上がるとその橋を渡らず、後ろを振り返らず遠回りして帰った。


友人にこの話をすると、彼は橋の下で女の子を見たという件そのものをすっかり忘れてしまっていたという。