Kさんが中学二年生のときの担任はR先生という男性教師だったが、彼は三学期の半ばに心筋梗塞で倒れ、そのまま帰らぬ人となった。
温厚で生徒の話をよく聞いてくれる先生で、生徒たちから慕われていたから、突然の別れにみな驚き、涙した。
それから一年経って卒業式当日、卒業アルバムが配布された。みな三年間を懐かしみながらページを繰っていたが、ひとりがこんなことを言い出した。
R先生がここに写ってるのおかしくない?
言われてみると、三年生の文化祭の写真にR先生が写り込んでいる。二年生のときに亡くなった先生が写るはずがない。
先生、今年も見守ってくれてたんだ。ありがとう。口々に言いながらクラスみんなで泣いた。
翌年、Kさんは高校でできた新しい友達と互いの中学の卒業アルバムを見せ合う機会があった。
――そういえばこの写真に、亡くなった先生が写っててさ。
と、例の写真を友達に示そうとしたところで、どうにも見当たらない。三年生の文化祭の写真を見ても、R先生の姿などないのだ。
後で中学の同級生にも訊いてみたのだが、やはりR先生が写っている写真は一、二年生のときのものばかりで、三年次の写真には見当たらないという。
喪失感が強かった。
写真にいてくれる限り、R先生はそこで見ていてくれていると感じられたのに。
R先生は本当にいなくなってしまったんだ、もう二度と会えないんだと実感した。
そして中学卒業から二十年経つ現在では、この件の捉え方がいささか変わった。
R先生が三年生の写真から消えてしまったのは、過去ばかり見るのではなく現在に目を向けて頑張りなさい、という先生なりの激励だったのではないか。
同窓会で中学の同級生たちと顔を合わせるたびに、そんなふうに語り合っているという。