Yさんは大学生の時に塾講師のアルバイトをしていた。
ある日の夕方にバイト先の塾に行くと、なんだか床が場所によりジャリジャリする。スリッパの裏を見ると、細かい粒が付いている。
塾長に尋ねてみると、一応掃除機かけたんだけどね、さっき塩まいたんだよね、と言う。
どうしてそんなことをしたのか続けて問うと、塾長は何だか気まずそうな顔をしながら、まあ消毒みたいなもんだよ、気にしないで、とだけ言って詳しいことは教えてくれなかった。
その後は特に変わったことは起きないまま、Yさんは四年生の五月までそのアルバイトを続けた。卒論に専念するために辞めることにして、最後のバイトの日、Yさんは例の塩をまいた日のことをふっと思い出した。
帰り際の雑談の中で、何の気なしにあの日のことを塾長に尋ねてみると、塾長は言われてはっきり思い出したようで、溜息をつきながら教室に目を向けた。
最後だし、言っちゃっていいか。塾長はそう前置きしてから語った。
あの日、塾長は昼過ぎに塾に来た。いつものように鍵を開けて教室の明かりを点けたが、なぜかそれでも室内が薄暗く感じられた。
蛍光灯が切れたのだろうかと天井を見回しても特にそれらしきところはない。
自分の目がおかしいのかと思い、窓の外と室内を交互に見たりしていると、教室の床に誰かが座り込んでいる姿が目に入った。
床の上に正座しているようだが、薄暗いせいでそれが誰なのかは判別できない。
そもそも誰かが来ていたことにそれまで気が付かなかった。生徒だろうか。それとも講師か。いつの間に入ってきたのだろう。
反射的に挨拶しようとした声が喉まで出かかったところで、いや待てよと思った。本当に誰なのだろうか。
声をかけずに近寄ろうとして、息を呑んだ。
こちらが一歩踏み出した途端、その誰かは教室の向こうへと遠ざかっていく。正座した姿勢を崩さないまま、床の上を音も立てずに滑っていく。
その勢いのまま、向こう側の壁にドンと音を立ててぶつかり、消えた。
そんな奇妙なものが出たのはそれが初めてのことで、塾長はすっかり慌ててしまい、教室を飛び出すと近所のコンビニで塩を買い込み、教室の床じゅうに撒いた。
買ってきた塩を全てばら撒いた頃には、教室はいつも通りの明るさに戻っていたという。
変な噂になると困るから言いふらさないでね、と塾長に念を押されたので、どこの場所なのかは言えませんとYさんは語った。
ただ、Yさんがネットで調べた限りではその塾は今でも営業しているらしい。