ドーナツの穴

仕事帰りに買い物をしようとスーパーに寄ったFさんは、青果売り場から鮮魚売り場へと歩いていったところで思わず足を止めた。
鮮魚の陳列棚を眺めている一人の客がいる。こちらに背を向けて立っている。顔は見えないが、中年女性のようだ。
その女性の胴体に大きな穴が空いている。
胸から腹にかけて楕円形の空洞が口を開けていて、そのむこうの陳列棚が見える。
まるで大きなドーナツだと思った。ドーナツが買い物をしている。
なにこれ、作り物?
そう思って距離を取りつつ横目で眺めたが、女性は何気ない様子で棚から商品を籠に入れると精肉売り場のほうへと歩いていった。
動きだけなら普通の買い物客に見える。
しかし胴体にあんな大きな穴が空いている生身の人間がいるだろうか。
周囲の他の客は女性に注意を払っている様子はなさそうだった。自分の目か頭がおかしくなったのだろうか、とFさんは疑ったが、どう見ても穴がある。
手に取った商品が棚から女性の持った籠に移動しているから、幻とも思えない。
呆然とその背中を見送っていると、その穴の向こうから誰かが顔を覗かせた。
性別はわからないが幼い子供だ。女性のすぐ向こう側に子供がいて、胴体の穴からこちらを覗いている。なんの感情もこもらない、ガラス玉のような目だ。
だが女性の足元に子供の足がない。女性の向こうに子供が立っているようには見えなかった。
顔だけが穴の向こうに浮いているのだろうか。
あっ、これは見たらまずいやつだ。
Fさんは慌てて目を逸らし、急いで会計を済ませると足早に店を出た。
その店はそれからも利用しているが、穴の空いた女性を見たのはそれ一度きりだという。