Rさんは普段日記など付けないのだが、旅行をしている間はその日の体験をメモ帳に記録するようにしている。
撮った写真とあわせて、後で旅を追体験するのに役に立つ。時間が経って旅の記憶が薄れてきた頃に見返すとまた面白い。
先日、収納を整理していたRさんは数冊のメモ帳を発見した。十年以上前に書いた旅の記録だった。
懐かしさから、片付けの手を止めてついメモ帳をパラパラめくり始めたRさんだったが、あるページで首をひねった。
学生時代、長崎に行ったときの記録なのだが、意味のわからないことが書かれているのだ。
「赤身と話した 泣いて大変だった しばらく歩いたらついてこなかった」
赤身とは一体なんだろうか。話したというからには誰か人間のことを指しているのだろうが、長崎旅行中にそういう相手と話した覚えがない。
そもそも人間だったとして、なぜそんな呼び方をしているのか。
Rさん自身の筆跡らしく見えるのだが、そんな体験に心当たりがない。覚えていないのは単に忘れてしまっているだけかもしれないが、気になった。
なんで後でわかるような書き方をしないんだろうな、と過去の自分自身に苦笑いしながらまたページを繰っていくと、また見つけた。
「赤身が出た 話そうとしたが無理」
出たという表現は何なのだろう。人なのだとすれば「会った」とか「いた」とか書くはずなのに、当時の自分は何を考えてそんな書き方をしたのか。全く記憶にない。
他にも赤身について書かれた部分があった。
「赤身に聞いた K 脳卒中 W 交通事故」
これを見てRさんは愕然とした。
K、そしてW。これはRさんのかつての同僚のフルネームだ。
どちらも既に亡くなっている。脳卒中と交通事故はそれぞれの死因だった。
ところが、二人とも亡くなったのはここ一年ほどの間のことである。学生時代に長崎に行った頃は知り合いですらない。
どうして長崎で書いたメモに二人の名前が、それも死因と一緒に書かれているのか。「赤身」に何を聞いたのか。
合理的に考えるならば、二人がそれぞれ亡くなった後にRさんがこのメモ帳に書いたということになる。
しかしここ数年はそのメモ帳に触った覚えもないし、過去の旅行記録に混ぜてそんなことを書き込む必要もない。書いた覚えもない。
どうしてそんなことがそこに書かれているのか、まるで見当がつかなかった。
とにかくその時は気味が悪くて仕方がなかったので、Rさんは「赤身」について書かれた部分を省いて他の紙に写し、元のページは破り捨ててしまった。