声真似

Cさんが大学を卒業した年の夏、お母さんが亡くなった。交通事故だった。
お母さんはつい数ヶ月前に卒業と就職のお祝いをしてくれたばかりで、冬にはお父さんと二人で海外旅行をする計画を立てていた。Cさんもこれから働いて稼いだお金で今までの感謝の印にプレゼントでもしようと考えていた。
そんな矢先、あまりに突然のことで気持ちが追いつかなかった。
葬儀は済ませたものの、亡骸になったお母さんを見ても、お骨を骨壺に納めても、何だか薄紙一枚隔てた向こう側の出来事のようだ。
理性ではこれは事実だと理解しても現実感がない。
職場では覚えることが多く、与えられた仕事をこなすことで精一杯で、必死に毎日を過ごすばかりで気持ちの整理をする余裕もなかった。

 

そんなある日の早朝。ベッドで寝ていたCさんは誰かに呼ばれて目を覚ました。
はっとして上体を起こしたものの、一人暮らしのアパートだ。他に誰がいるはずもない。
夢か、と眠い目をこすったCさんだったが、自分を呼んだ声がお母さんの声だったように思えてならなかった。
子供の頃はよく寝坊して、母さんに起こされてたなあ。
そうか。もう母さんには起こしてもらえないのか。
そう思ったところで、不意に涙がこぼれた。
母さん、死んじゃったんだなあ。
それからというもの、Cさんは自室で寝ているときに、たびたび誰かに呼ばれる声で目を覚ますようになった。
女性の声、かつてお母さんに起こされたときと同じような調子で何度か名前を呼ばれる。
何度も続くうちに、これは夢ではないのかもしれないと思うようになった。母さんが見守ってくれているのだろうか。
始めたばかりの仕事でへとへとになっているのを心配して、声をかけてくれているんだろうか。
そう思うとこれ以上心配をかけないよう、気を引き締めて頑張ろうと前向きな気持ちが湧いてきた。

 

そうして半年が過ぎた。
まだ時折、明け方にお母さんらしき声が聞こえることは続いていた。
一人前になって心配をかけるようなことがなくなれば、いずれ聞こえなくなるのだろうか。Cさんはそう思っていた。
ある朝のこと、またCさんは誰かに呼ばれて目を覚ました。もう朝か、といつものように起き上がろうとした。
ところがいつもとは調子が違う。身体が重くて起き上がれない。
疲れが溜まってどこかおかしくなったのだろうか。痛いとか苦しいとかいった感覚は特になかった。
顔だけ横に向けることができたが、そうすると眼の前に変なものが見えた。
小さな小さな女が顔のすぐ前に座っている。片手で握れるくらいの大きさだ。
厭にてかてかと光沢のある顔をしている。
女は両手で布に包んだ何かを抱えている。
赤ン坊だ。
女はCさんに向けて、抱えた赤ン坊を差し出してきた。
あっ、いやだ。
そう思ったところで反射的に身体が動いた。
布団を跳ね飛ばす勢いで起き上がってみると、全身汗でびっしょりだった。
小さい女はどこにもいない。

 

それを境にして、お母さんの声で目を覚ますことはなくなってしまったという。
聞こえなくなったのも寂しいには寂しいんだけど、あの小さい女が母さんの声を真似ていたように思えちゃって、それが忌々しくって――とCさんは語った。