夜犬

Kさんが転勤のため茨城から栃木に引越した。
引越して二ヶ月ほどした頃、アパートの大家が来てこんなことを言う。Kさん、犬飼ってたりしてません?
すぐに否定した。ペット禁止のアパートだし、犬など数年来触ってすらいない。
大家の言うことには、他の住人からKさんの部屋で犬の声がうるさいと苦情が出ているという。
そんなことを言われても心当たりはない。潔白を証明するためにKさんは大家を部屋に入れて、犬などいないことを確かめさせた。
大家もそれで納得したようで、何かの間違いでしょうということになった。もう少し詳しい話を聞いてみると、犬の声は夜中に聞こえるという。
夜はKさんも部屋にいるが、犬の声など聞いた覚えがない。本当にそんな声が聞こえているのだろうか。おかしな人の妄想ではないのか。


そんなことがあってまた少し経った頃、部屋で寝ていたKさんは夜中に目を覚ました。壁の時計を見ると午前三時過ぎ。
すぐまた目を閉じたものの。何か部屋の中で物音がする。床の上をチャッチャッと何かが歩き回っている。
これが例の犬か、と思った。視線を横に向けると、暗い部屋の中を中型犬くらいの大きさの何かがさかんに行ったり来たりしている。暗いせいでよくわからないが、四足の動物なのは確かなようだ。どこから入ったのだろう。
聞こえるのはフローリングを爪がひっかくような足音なのだが、床にはカーペットを敷いている。直接フローリングの上を歩くような音がするのが奇妙だった。
もっとよく見ようと思って体を起こすと、驚いたのだろうか、その動物はテレビの方に飛び込むようにして消えた。
すぐに部屋の明かりを点けたKさんの目に留まったのが、テレビの前に置いたサボテンの鉢植えだった。
これは引越し後に友人から貰ったものだ。大して世話をする必要がないし部屋の彩りとして置いておくといいと友人が言うので、Kさんはそれをテレビの前に置いたまま、友人の言葉通り世話もせずにいた。改めて見てみると短いトゲがびっしり生えた感じが犬っぽくないこともない。
犬はこの鉢植えに飛び込んで消えたように思えた。犬の話を聞いたのも鉢植えを貰ったのも引越し後のことだ。
Kさんは鉢植えに向かって、夜は静かにしてくれと声をかけてから寝た。


その後Kさんはサボテンの世話の仕方を調べて、時々窓際で日に当てたり風に当てたりといくらか世話をするようになった。そのおかげなのかどうかは不明だが、犬に関する苦情はそれ以来聞いていない。