道具部屋

Tさんは高校生のときに演劇部に所属していた。
演劇部で使う大道具や工具は校舎内の部室ではなく、別棟のプレハブ小屋の二階に置いてあった。部員はここを道具部屋と呼んでいたが、ここに入るときには奇妙なルールがあった。
中に人がいるかどうかに関係なく、入るときと出るときに〈失礼します〉〈失礼しました〉と挨拶しなければいけないというものだ。
Tさんも入部してすぐに先輩からこのルールを教えられ、必ず守るようにと言われた。先輩が入部したときにもこのルールを上の先輩から教えられたという。
なんでそんなルールがあるんですか、と訊いても先輩はどうしてもだよと言葉を濁す。詳しいことは教えてもらえなかったので、そういうものかと思って従った。


一年生の夏休み、練習中に先輩から頼まれてTさんは道具部屋に工具を取りに行った。
慣れのせいか、練習に気を取られていたせいか、あるいは一人だったせいか、このときTさんはいつものルールを忘れていた。無言で道具部屋に入り、工具を取って、部屋を出て施錠したところで挨拶のルールを破ったことに気がついた。
しかし誰に見られたわけでもない。先輩に知られなければ特に問題ないだろう。
そう思って戻ろうとしたところ、背後で扉が開く音がした
咄嗟に振り返ると、施錠したはずの扉を開けて女子生徒がひとり道具部屋から出てくる。目が合った。
妙に見覚えのある顔である。
道具部屋から出てきたのは、Tさん自身だった。しかし向こうのTさんは全体的に白っぽく、背後の壁が透けて見えていた。
白くて透けているTさんはきょとんとした顔でTさんを眺めている。
お互い一瞬固まった後で、Tさんは全速力で逃げ出した。怖くて背後を振り返ることもできない。もし後ろについてきていたらという疑いを振り切るように走った。
息を切らして練習場所に戻ったところ、先輩たちはそんなTさんをひと目見て、お前挨拶忘れてたな、と見抜いた。
道具部屋に出入りするときに挨拶を忘れると、決まって奇妙なことが起きる。その場で起きることもあれば、帰宅してから何かある場合もあるし、数日経ってから思い出したように異変があることもあり、何があるかは人と場合により異なるという。
そういうのは先に教えてくださいよ、とTさんが抗議すると先輩たちは平然と言った。
自分で見たほうが信じられるだろ? それにみんな通る道だからさ。