鼻唄

Wさんが彼女の家の近くで待ち合わせをしたある朝のこと。
道端のベンチに腰を下ろして彼女が来るのを待っていたところ、近くから誰かの鼻唄が聞こえる。
男の声だ。しかし誰の声なのか、周囲に目をやっても姿が見えない。
声はすぐ近くから聞こえているのに人の姿がないのだ。隠れられるところもない。
姿のないままに、鼻唄はゆっくり通り過ぎていく。聞き覚えのある曲にも思えたが、調子が安定しないのでなんの曲だかよくわからない。
鼻唄が遠ざかり聞こえなくなってから少し後にようやく彼女が来た。
さっきこんなことがあったんだけど、と話すと彼女はああ、そうかと納得する素振りだ。
ここって小学生の通学路だからと彼女は言う。それがどう関係あるのか。
近所に元教師のおじいさんが住んでて、見守り活動っていうのかな、小学生が集団で登校するのに毎朝一緒について行ってたの。
おじいさんが小学校から戻ってくるのがちょうど今ぐらいの時間で、ひとりで鼻唄を歌いながら歩いてくるのをよく見たんだ。
でももうかなりのお歳で、施設に入ったとかで、少し前から姿を見なくなってたのよね。まだご存命だとは思うんだけど。


いや、じゃああの鼻唄は?
そうWさんが問うと彼女は真顔で答えた。子供好きなおじいさんだし、声だけでも抜け出してきたんじゃない?